Rir6アーカイブ

2007-06-24

[悪意]「正しいこと」をただ「正しく」書いて褒められるような馬鹿

には心底なりたくねーなーと感じた記事。

http://d.hatena.ne.jp/makaronisan/20070623/1182538861

はいはいあんたの言うことは正しいですネー。人はいつでも謙虚に相手の意見に耳を傾け、自分を客観視して見つめ、そして身内の間でのなれあいに満足せず、「成長していこう」という気持ちを持とうと。うんうん、ほんと「正しい」意見で、全く反吐が出るよ。(*1)

「正しさ」共同体の醜悪さ

そして、その様な「正しい」意見に、みんなで「正しい賛辞」を行う訳だ。「僕もid:makaronisanの意見に賛成でーす。僕も含めてだけど、みんなもっと自分に厳しくなるべきだと思いまーす。」とか、「id:makaronisan君の意見を聞いて、自分もこれからはそういう駄サイクルになっていないか、常に自分を見つめようと思いまーす。」とか、まるで小学校の学級会みたいにね。しかし、別に先生も居ないネット上で学級会開いちゃうなんて、そんなクソみたいなこと良く考えつくなぁ

「というだけの話です^^」←ぶん殴って良い?こいつ

もちろん、そのネット学級会っていうのは、あくまで「民主的に行われている」というのが建前だから、もちろん異論の発言権は認めます。例えば、上記の記事では、mashimaro氏がid:makaronisanの意見に対して反、というか殆ど論破している、そしてそれは本当にid:makaronisanのクソみたいな記事に比べて百倍含蓄に富んでいるんだけど、それに対してid:makaronisan氏は

そうですねー、言葉足らずな部分が多かったと思います。

なんて言って、「自分の過ちは素直にみとめる自分」を演出しながら、しかし

「作らない人より作る人」というのは、作品を愛している人を削除しているわけではなく、「作ろうとしないで色々言う人よりも、挑戦しようとしている人」という意味でした。

なんて言って、決して「挑戦することって正しいよねー」というような「正しさ」自体を疑おうとはしない。そしてそこを論破されると

なんか話が終わらない気がするので、ここで切らせていただきますねー。

とか書き、最後に

文章見ていただければ分かると思いますが、趣味にしろなんにしろ、自主的に作ろうと動く人を自分は尊敬するな、というだけの話です^^

とか書く。要するに「自分が思っていることを述べただけですよ」って言う訳だ。でも、それがあくまで「世の中の正しさ」をそのまま述べている以上、それは決して単なる個人の心情吐露にはならない、その「世の中の正しさ」を支持する、権力作用を持つのだ。そんなことも理解できないんだったら、もうブログなんてやめちまった方が良い

一体何が楽しいんだろう

しかしこのid:makaronisanみたいな、世間の「正しいこと」を称賛するような文章を書いて、一体何が楽しいんだろう?

例えば、「自分を客観視しろ」とか「今の自分に満足せず、常に成長しようと心がけよう」なんて言葉は、それこそ世の中に溢れているじゃん。で、そんな世の中に溢れている言説を再生産することに、一体どんな楽しさがあるのか。僕には全く理解できないわけ。だって、そんなに「正しさ」が好きなら、ブログなんか書くのやめて、道徳の副読本でも見なから「ああ、正しいって良いなぁ・・・」と一人で悦に浸ってたら言い訳だから。ま、正直そんな光景想像しただけで気持ち悪くなっちゃうけど。

それをわざわざブログに書くというのは、要するに彼ら自身、本当に「成長」とかそういうことが正しいかどうか、信じきれていないのかもしれない。だけど、だからといって「正しさ」を疑えるほど自己が確立していないから、「正しさ」をブログに書いて、それを仲間内で賞賛してもらうことによって、「ああやっぱり自分の正しさは正しかった」と納得したいのかもしれない。

まぁ、それにしたって、要するに自分の信じるカミサマが信じられないからと言って、信者を集めて、信者が集まることで「ああやっぱり自分の神さまは正しかった」と思う新興宗教とおんなじで、やっぱり気持ち悪いんだけどね。

「痛さ」に耐える覚悟がないひとだけが、世の中の「正しさ」にすがる

例えば、id:makaronisan氏はは上記の記事の中で「正しさ」を正しいものであると思い込ませるためにこんな表現をしています。

痛くて痛くて。やけどするかと思った。

でも、僕から言わせてもらえば、むしろ痛いからこそ、その「痛さ」を与える表現の「正しさ」に屈して、自分を変えてははいけないんですよ。

この記事では、「成長しようとしないこと」や「自分を客観視しようとしないこと」が、世間の「成長しようとしない人は駄目だ」とか「自分を客観視出来ない人は駄目だ」とかいう「正しさ」になぞらえられながら、批判されています。そして、確かにそういう見解は、痛い。何故ならその様な意見は、社会の「正しさ」によって支えられているために、もしそれを無視したら「社会」から見捨てられるかも、という恐怖を、人に与えるからです。痛さとは、「社会に見捨てられるかも」という恐怖のことです。

でも、だからこそ表現しようとする人は、そのような恐怖に打ち勝ち、「成長しようとしないこと」や「自分を客観視しようとしないこと」を擁護しなければなりません。何故なら表現とは、「社会」というシステムに対し、「本当にそれは人間を幸せにするのか?」と疑問を投げかけ、あるいは「それは人間を幸せにしない!」と批判することに、その本質があるからです。

逆に言えば、そういう社会の「正しさ」に屈した言説に、表現は存在しません。id:makaronisan氏の記事を読んだらそれは良く分かるでしょう。「成長しようとしない人は駄目だ」とか「自分を客観視出来ない人は駄目だ」とかいう「正しさ」をただ正しいとする文章でしかない彼の記事では、社会の「正しさ」以外の何の内容も、そこには含まれてません。故に、この記事を読んでも、人は何も今まで正しいと信じてきたことを疑おうとはしません。そうである以上、人の心を揺さぶり、今まで正しいと思っていたことの「正しさ」を疑わせるのが表現なのですから、それは表現ではない、ただの文字列に過ぎないのです。

最後に

長々と書いてきましたが、結局僕の言いたいことというのは、mashimaro氏がコメント欄に書いた

「そんな事知るか!」

という一言につきます。「勘違いしてる」ですって?良いじゃありませんか。「勘違い」こそ全ての表現の産みの親です。所詮私達は、そこら辺のモノと同じ、分子の集まりであり、思考などというものも結局電子信号の連鎖に過ぎません。しかし私達は、そうで考えるのが「正しい」と知っているにも関らず、「自由な思考」などというものを考え、そして、それに基づいて「自由な私」などというものが存在していると錯覚している。しかし、だからこそ人は「表現」というモノが存在すると信じられるのです。

更に言うなら、「表現」に対する仲間じゃない他人の意見なんてものは、それが社会的な「正しさ」に基づいているかぎり、根本的にクズなんです。そんなの参考にするぐらいなら、仲間内の意見を参考にした方がよっぽと良い。何故なら、それらは仲間内であるが故に、社会的な「正しさ」に担保されない、自由な批評なのですから・・・

[断片]女性オタクの嫌うヒロイン像について

id:torly:20070624#1182650462

まー、男性オタクである僕がとやかく言うことでもないんだけど、ちょっと記しておきたいことがあるので、書いておく。

『BLOOD+』というアニメがありまして、僕はそのアニメが大好きで毎週欠かさず見ていたわけです。

で、のアニメっていうのは、女子高生が日本刀で世界を滅ぼそうとする敵と戦うっていう、ものすごく大雑把に言うとそんなアニメなんですが(*2)、そのアニメの中で、主人公の女の子が戦いがずっと続き、自分の大切な人も傷ついていく中で、ふと彼氏に弱さを見せ甘える、そんな場面があったんですね。

で、それに対してある女性オタクが、「何かこういうの嫌だ。もっと毅然として凛としていて欲しかった」と言うんです。そしてその女性オタクは、こう言ったのです。

「攻殻機動隊の素子みたいな女性を見習うべきだと思う」

……まぁ、男である僕がとやかく言うことではないんですが、それはちょっときつ過ぎやしないか?と思いました。

この問題、フェミニズム的に言うと、勝ち組女性と負け組み女性の分断統治、みたいな話になるのかな。よく分からないけど。

*1: もちろんこの記事では「自分もそうかもしれない」とか書いたりしてます、しかしそれは、要するに「俺だって自覚してるんだから、おまえも自覚しろよ」と言いたいだけのことだし、「時には休んでも良い」なんて書くけど、それも要するに「成長」のための休息。要するに企業の社長が「休みは精一杯休みなさい」とか言うのと一緒。そこでは、本当に「成長」が正しいのかとかは全く疑われない

*2: 本当は基地問題とかベトナム戦争とかアメリカ帝国主義とか生物災害とか、そういう竹田青磁プロデューサーが大好きなシャカイ派テイストが多分にあって、で僕はそういう話が好きでこのアニメを見てたんだけど、それは今回の話とは関係ないので省略

この日へのコメント

てきとー 2007/06/25 03:55
引用元記事はオナニーだろ?って意見をするのも
オナニーだよ?

って言われてもしかたない感じだなぁw

元記事のひとが自分と他人を含めた議論した時点で
それもブログって仲間内からほめられたいだけだね
ってメタ議論が発生しちゃうのも当然だけど
それを吹っかけるのも所詮、セルフプレジャーから
逃れられない。

まぁ、どっちもどっちだけど
元記事はたしかに自戒的っていうよりも
他罰的だったね。

それがわかってるなら
単純に流せばよかったんじゃん?
なんか 2007/06/25 04:48
最後の方は面白いこと言ってるのに、
前半で下手な煽りをいれているのがもったいない。