http://anond.hatelabo.jp/20070928145817(*1)
似非オタ「あ…ありのまま今起こった事を話すぜ!とか知ってる?」
俺「さあ…」
女の子「いやー」
似非オタ「ジョジョって漫画があってさーその漫画の承太郎っていう主人公の台詞なんだけど」
俺「へー」
似非オタ「こんなポーズで言うんだよ」
女の子「ふーん」
似非オタ「スタンドとか魔法みたいなのがあってさー」
女の子「……ていうかさ!『ありのまま今起ったことを話すぜ』は承太郎じゃなくてジャン・ピエール・ポルナレフだから!ポーズもなんか微妙に違うんだけど!手が逆だし!大体、スタンドは魔法っていうより超能力!具現化した超能力っていうか、生命エネルギーから為るビジョンっていうか言い切るのは難しいけど魔法っていうのはなんか違うでしょ明らかに。あと「ドラララララ」は承太郎じゃなくて4部の東方仗助!ダイヤモンドは砕けない読んでないの!?大体ハルヒハルヒってどうせオタ気取りするなら今はらき☆すたでしょ?あと福本作品語るならせめて銀と金くらい読んでからにしようよ!いっとくけどカイジなんて読んでても全然珍しくもなんともないよ!?超人気作じゃん!」
……(゚Д゚)ハァ?
きっとその似非オタは心が優しいからそこでうろたえてやったんだろうけど、君たちがこのまま勘違いしたままだと駄目になっちゃうと思うので、そういう話に対して普通どんな反応が返ってくるか教えてあげるね♪
「ていうかさ、え、何でそんな細かいところまでこだわってんの?ジョジョなんてネットで話題になったから知ってるだけで、あんなキモそうな原作なんて読む訳ないじゃん。え、何?おまえ会話の種にするマンガやアニメのネタは全て読んでんの?論語の言葉を引用する際には論語全て読まなきゃなんないの?マジで?そんな暇有ったらもっと自分の好きなことやれよ。それともお前らマンガとアニメ以外に自分の楽しみないのか?うわ止めてちょっと気持ち悪いから半径3メートル以内に近寄らないで。『カイジ読むんなら銀と金も読め』?うわまじ意味わかんない。普通の人は自分が読んで面白い作品しか読まないんです。「つまらない」と考えたら、例え自分が好きなマンガの作者のでも読まないです。だって君たちみたいに何か訳の分からん義務感に苛まれてつまらないマンガを無理矢理読んで人生を無駄にしたくないから。マンガやアニメなんて所詮人生の様々な楽しみの一つであって、それが人生の楽しみの全てなんていう人はかわいそうすぎます。大体何だよ『スタンドは魔法っていうより超能力!具現化した超能力っていうか、生命エネルギーから為るビジョンっていうか言い切るのは難しいけど魔法っていうのはなんか違うでしょ明らかに。』って、はっきり言ってそんなの馬鹿なガノタが『ガンダムはロボットじゃない』と主張したり、馬鹿なエヴァオタが『エヴァはロボットじゃない』とか『「ヱヴァ」は「エヴァ」じゃない』とか主張するのと同じじゃん。俺そういうオタクの自分理論大嫌いなんだ。大体普通の人は魔法と超能力の区別なんかつけねーよ。例えばほうきで空を飛ぶのは魔法で、ほうきなしで空を飛べば超能力か?じゃあ何か、ほうきの有る無しが超能力と魔法を区別するのか。違うだろ?超能力と魔法なんて、結局その時の考え方で全てが決まるわけでしょ。例えば『魔法』が実在すると考えられれば、『魔法』と、魔法ではない何か不思議なことは区別されるかもしれない。それと同じように『超能力』が実在すると考えれば、『超能力』と、そうでないものは区別されるのかもしれないよ。でも俺らは別に『超能力』と『魔法』、どちらも実在するとは考えないんだから、そんなの区別しないわけ。それともあれ?お前らは『超能力』とか『魔法』とかが実在すると考えているわけ?それとも自分が『超能力と魔法は違う』と主張すればそれが世界の真理になるとでも考えてんの?うわうわうわ、どっちにしろイタいよ。あんたみたいな人間を病院に入れずに野放しにするなんて、やっぱり日本は○○ガイに優しい国だなぁ。」
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://anond.hatelabo.jp/20070928145817
2007年09月29日 zaikabou いーはなしじゃないか!
2007年09月29日 sunagi 目の前にその女の子がいたら恋に落ちる自信がある
2007年09月29日 a1101501j オタク, アニメ, 漫画 VIPPERだろそりゃ?話題先行・エロゲ原作の糞アニメ見てオタクぶる奴、正直うんざりだ
2007年09月28日 firestorm 何故か腹の底からザマミロ&スカッとサワヤカの笑いが
2007年09月28日 setofuumi フレーズ, 言葉, オタク 本当だといいなあ
2007年09月28日 nitino 萌えた グッド!
2007年09月28日 okome_chan オタク, いい話
自分の知っている知識を、何とかコミュニケーションの潤滑油に使おうとするのは、それが成功するかどうかは別として、極めて当たり前のことだし、「人間」というのは人と交流することによってしか自分の輪郭を見いだせない以上、その様にオタ知識を使ってでも何とか他人とコミュニケーションをしようとするのは、褒められることはあってもけなされることはない挑戦だと思うのですが、何故かオタクというのは、そういうのを嫌うんですよね。全く意味が分かりません。
まぁ、でも意味は分からなくても理由は分かるんですよ。オタクという概念は、元々は「おたく」というネガティブな意味(http://www.burikko.net/people/otaku.html。このページを示すのも「ひけらかし」の一種ですよ。さあオタクの皆さんどうぞ嗤いなさい">*2)で存在していたのを、そのまま「ネガティブなこととされていたのはポジティブなことである」という風に意味を反転させて成立したものだからね。そしてその過程で、元々はネガティブなこともされた「他人とのコミュニケーションが苦手である」ということも、ポジティブなこととされたと。だから歴史的に、オタクは他人とコミュニケーションしないものだとされてきたし、そうである以上、オタク知識をコミュニケーションに生かすなんてことは、邪道であり、「オタクの風上にもおけない」のだろうと。
でもね、そういう風に歴史的経緯は分かっても、やっぱり「意味」は分からない。だってどんなに強弁したって、「他人とコミュニケーションできない」ってことは、マイナスなことでしかないんだから。「他人とコミュニケーション出来ないのは素晴らしいことである」という信仰を保持していたって別に良いけど、それを他人に押しつけるのはやっぱりおかしい。更に言うなら、昔は知りませんが、今のオタクって社交性はある。だからもし「他人とコミュニケションしたい」と思いさえすれば、絶対普通にオタ知識を用いてコミュニケーションはできるんです。それなのに古いオタクたちが「他人とコミュニケーション出来ないのは素晴らしいことである。他人とコミュニケーションしようとするオタクなんてオタクとは言えない」なんてことを言うものだから、引用元のような倒錯した状況が現れる。まさに老害。
また、「知識がぬるい」ってことを引用元の人は非難しますが、それだったらきちんと正しい知識を教えてあげれば良いんであって、何で非難するのか?
学校に例えてみればこの状況の異常さがよく分かるでしょう。例えば国語の授業で、ある生徒が手を挙げて自分の持っている知識を元に教科書の文章をなんとか読解してみる。しかし彼の知識はまだ発達途上だから当然読解も間違えていた。こんな時、「お前間違ってるよ。廊下に立ってろ!」とか言う教師が居るか?いたらそんな奴絶対駄目教師だろ?ところが、オタク世界ではこういう教師が賞賛される。どう考えたって、そういうときの正しい対処法は、「よく頑張ったね。でも実はそれはここがこう間違っているよ」と教えてあげることでしょうが。
はっきり言いますよ。引用元のような人間、そして引用元の著者を賞賛するような人間がオタクの代表格である限り、オタクはどんどん衰退して、絶滅しますよ。それでも本当に良いんですか?
大体、僕は実は引用元の著者が自分のことを「隠れオタ」と自称している時点で彼のことを軽蔑してるんですよ。僕は隠れオタというのは最も愚劣なオタクだと思っています。だって要するにそいつは本当の自分を表に出してないんだから。本当の自分を出したら周りに嫌われてしまう。逆に言えば、本当の自分の趣味なんて周りは理解してくれるはずないと周りを軽蔑しているんですよ。はっきり言ってそれって人間としてどーなのよ?
何でそういう世の中を斜に見たペシミストな隠れオタが非難されて、周りの人が自分の趣味を理解してくれるんではないかという可能性を精一杯信じて、何とかその可能性を具現化しようと、精一杯頑張る似非オタが非難されなきゃならないのか。どう考えたっておかしいよそんなの。
更に言えばね、僕は「ジョジョの原作を知らなければジョジョネタをやってはいけない」とか、「福本作品のことを話すなら福本作品を全部知らなければならない」とか語っていることも意味が分からない。例えば僕はジョジョの原作は読もうとも思わないけど、それこそジョジョ立ちオフ(*3)とか、ジョジョパロ(http://kajipon.sakura.ne.jp/jojo3.htm:title]">*3)とか、ジョジョパロ(*4)とかの面白さは分かるし、その面白さを他人に伝えたいと思う。カイジは凄い面白かったけど、銀と金はマンガ喫茶で読んだけど別に面白くなかった。でも、だからといってカイジが面白くなくなるなんてことはなかったし、カイジの面白さは他人に伝えたいと思う。こういう気持ちが一体何故非難されなきゃならないのか?
要するにこれも「オタクは知識を一杯知っている方が偉い=知識を一杯知らない奴は非難されてしかるべき。オタクの風上にもおけない」ということだと思うんですよ。でも、そういう連中にこそ言いたい、「それなんて共通一次的メンタリティ?」と。知識なんかね、幾ら持っていたって使えなきゃ意味がないんですよ。どんなにドラえもんの道具の名前を知ってようが、そのドラえもんの名前ネタを会話時とかに使えなきゃそれは全く宝の持ち腐れなんです。だから、どう考えたってただ「へー」と相づちぐらいしか打っていなかったお前の方が、その似非オタより劣ってんの。
*1: 括弧内の発言とかモノローグは所詮その人の主観であり検証に値しないので削除
*2: http://www.burikko.net/people/otaku.html。このページを示すのも「ひけらかし」の一種ですよ。さあオタクの皆さんどうぞ嗤いなさい
この日へのコメント
こういう場所では心の底で冷笑する方が大人だよね。
哀れな惨めったらしい勘違いした肛門にへばり付いたトイレットペーパーのようなバカに、バカなどと本当のことを言うのは可哀想だ。
こんなに延々オタ論を展開するやつは似非オタじゃなくて、空気のよめないオタです
ヌルい事を認めようとせず背伸びしてるヌルオタの行動が、
自分がこだわってきたオタ世界に土足で入ってきて、先人に気を遣わず適当に扱おうとしているように
感じられるから。
最近のヌルオタは流行で入ってきてるから、その流行より前のガチオタには全く敬意を払わない。そりゃ怒るだろ。
そちらかというと無名時代に応援していたアイドルがメジャーになったとたん、「アイツは変わった、金に目がくらんで最初の頃の心をなくした」と喚くアホウと同じ。
オタ世界に飛び込むのに土足もなにもない。同じガンダムでも最初のTV放送からの人も、最近のゲームから入った人もいる。どっちがえらいわけじゃない。作り手にとってはどれも「ファンの一人」
問題は昔からいるファンがそういった新規のファンを馬鹿にし、排除しようとすること。本当のファンなら喜んで仲間として受け入れるべきだ。
カルトなファンは宗教の狂信者と同じ。絶対に世界を広げられない。
ヌルオタって批判されて言い返すのもなぁ。スルーすればいいじゃんw
自分に自信がない証拠だろ
そもそも古参ファンに「敬意を払う」意味があるのか?製作者やクリエイターには敬意を払うべきだと思うが、単なるファンになんで敬意を払わなければいかんのだ?
「この作品を有名にしてやったのは俺らだぜ?」的な、おかしな選民思想の成れの果てか?
別にオタクは作品のファンであって、古参オタのファンでもなんでもないぜ?勘違いもいいところだ。
ブログ主 涙目www
相手の立場に立って考えれば、批判される理由は分かるだろう。
自分が深い知識と理解を持っている事柄以外に当たる時は、謙虚に接することが大切だと思うよ。
普通の会話の中でこそ聞きかじりのハンパなネタでも許されると思うけどな。マニア間の話は別だけど。
っていうか、オタのダメなところのひとつに「説明過多」があるよな。一方的に話して聞く側置いてきぼり。そこまで聞いてねえよ、っていう。
マニアックな知識こそ知っている同士だけで語れば良いのに。
第一この似非ヲタについてはチャレンジどうこうじゃなくて、態度の問題だよね。知識が浅い深いは関係なく態度がダメでしょ。文章を読むと以前からぬるい知識を「ひけらかしていた」節があると説明されている以上、この似非ヲタの態度はウザイだけでしょ。
そして隠れヲタの二人も、自身がヲタなのだから、似非ヲタを思いやる心があるなら早い段階で指摘していたでしょう。それをしてこなかったって事は似非ヲタの事は嫌いなんでしょう要するに。ヲタだからとか関係なく人間的な問題だねこれは。
きちんとした記事で注目が集まれば、もっと良いのだろうけれど、もうしばらくはこうしたオタ叩きが続くのかな?
数学は、公理という独断を採用しているために絶対確実に正しいかどうか分からない。
自然科学は、それに加えて実験による証明という、何らかの枠組みを独断的に前提しているために絶対確実性からさらに遠ざかった。
科学哲学は、科学を擁護したいがために、形而上学的実在論、科学的実在論、道具主義、操作主義、実証主義、奇跡論法、構成主義的経験論、介入、構造的実在論、内在的実在論などの独断に陥っている。
俗流心理学に至っては、ただ1つの演繹すらない。
しかし、演繹という語にまつわる問題もある。それは……。
どちらの陣営にも個人的な、あるいは自らが属する集団に共有されている感覚や感情を不当に〔論証なしに〕正当化するという事態が蔓延しているが、実際にはいずれも同一の誤謬に陥っているという点を以って同一項で括ることができる。
わたしは、それが暫定的なものであれ不確実なものを魔術的な仕方で確実なものに変換してしまう独断バカを一般人(これには一般的な多数派と一般的な少数派の双方が含まれる)と呼んでいる。
わたしは、こうした頭の弱い存在者群に対して啓蒙を実践しているところである……。
この問題に絶対確実な回答を与えるには、まず絶対主義対相対主義、超越論対非超越論に決着をつけねばなるまい。
「そして、指示の理論について考えねば……!」
# 記述説、因果説、記述の束説
それは、すべての独断バカを消去=救済する計画――。(隘路であることが判明したが、それでも……!)
■永劫懐疑
http://www5.plala.or.jp/skepticism/
推薦のことば(ニーチェ)「この人を見よ。」