http://d.hatena.ne.jp/a-park/20080222/p1
血の流れないヤンデレ
血を流さずして何がヤンデレかと!
http://d.hatena.ne.jp/makaronisan/20071001/1191161713もそうだったんだけど、何か最近、ヤンデレというのがよりクローズアップされるにつれて、「幾らなんでも最近のヤンデレは過激すぎやしないか」という感じで、ヤンデレから暴力性とかそういうのを抜こうとする、そんな動きが起きているらしい。そりゃあ男としてみたら、病的に愛されるのは好きだけれど、だからといってナイフで刺されたりするのは嫌だよなぁというわけで、そういう「ソフトヤンデレ」と呼ばれるもののの需要は高いのだろう。
だが、僕はここで敢えて言わせてらう。そんな風に日和る奴にヤンデレを消費する資格はない!とっととてめーらの好きなラブコメマンガにでも帰れ!と。ヤンデレキャラは今よりももっと暴力的であるべきだし、むしろ暴力さえあれば恋愛感情なんていらないだろうと。
何で僕がこういう風に思うのか?それは結局、僕がヤンデレというのに「期待」しているからだろうと思う。
何を期待しているかって?
そんなの決まってるじゃん。「革命」をだよ。
今現在のこの世界が、完璧に悪いものであるとは言いません。ですが、一方で僕は、こうも思ってしまうのです。この世界は、本当に生きるに値する世界であるか?と。
その様に思わせる要因は一杯ありますが、大きな要因の一つとして、「家父長制」という支配システムが、多くの人に内面化されているという、そんな問題があったりします。
「家父長制」とは何か?ものすごく簡単に言ってしまえば(*1)「父・息子(長男)=男」という主体が「母・娘=女」という客体を支配する、そんなシステムです。
そのようなシステムと戦うために、様々な運動がありました。要するに「フェミニズム」と呼ばれる、そんな様な運動な訳ですが、確かにそのような運動によってある程度まで女性の権利は確保されました。でも、じゃあ家父長制は無くなったか?
とんでもない!
この21世紀になっても、女性の大半は「お嫁さんになりたい」なんて言うし、男性も「俺の女」などという風に、恋愛関係にある女性を所有物のように勘違いしやがる。そんなのは一部のDQNだけだって?じゃあ君は自分の彼女が他の男と寝たとして許せるか?「そんなの許せるわけがない」?それが支配だというのだ!
何故そのような支配がなくならないのか?
その答えは分かり切っています。女性の権利が暴力革命によって得られたものではないからです。
例えば、今この世界では曲がりなりにも「民主主義」というシステムがあります。これは、簡単に言えば「国家権力」というものが、民衆のためにあらねばならないという理念の元に運営されています。なぜその様な理念が機能するか。それは簡単に言えば、そのような理念を無視して、民衆のためにならないことを国家がしたら、民衆が暴力革命でもってその国家を壊す、そんな権利(革命権)が認められているからです。
では、何故そのような権利が認められるか。それはやっばり、そのような行為が過去実際にあったからなんですね。過去国家が一部の特権階級のためにあった時代、市民は蜂起をし、暴力でもってその国家を破壊しました。つまり、市民はその気になれば国家を破壊できる。その様な裏付けがあるからこそ、「民主主義」というシステムは強い。逆に言えば、もし市民が一切「革命なんてしないよねー」とか言えば、絶対国家権力は暴走するでしょう。
では翻って「男女平等」という理念はどうか。果たしてそれは、女性が「暴力」でもって男性優位のシステムを破壊したものによって得られたものか?残念ながらそれは違うと言わざるをえません。「男女平等」という理念は、基本的に話し合いで得られてきたものです。(*2)そして、根本的なことを言うならば、「話し合いで築き上げたものは、話し合いによって崩されてしまう可能性を秘めている」のです。だから、「男女平等」という理念は、それが適用される段階になっては「話し合い」でなぁなぁのままに骨抜きのものとされてしまうのです。
だから、もし私たちが本気で「男女平等」というのを「民主主義」と同じような基本的理念にしたいのならば、やはり一度「暴力革命」が必要なのではないかと、僕は考える。つまり、女性が「暴力」でもって蜂起し、男性を恐怖に陥れる、そんな事件が必要なのだ。
では、それはどうやって可能になるか?
ここで人々の重要な勘違いについて述べねばならない。人は普通、「暴力」というのを手段として捉えている。つまり、何か目的があって、その目的を達成するために「暴力」という手段があるのだと。
だが、それは確かに理論の段階では正しいのだが、実践の場では違う。どのように違うか、一言で言えばこういうことである。
「暴力」がまずあり、そしてそれによって達成されるものが後付で「暴力の目的」とされるのである。
例えば市民革命を例に取ろう。市民が武器を持って立ち上がったとき、市民に本当に「民主主義」という理想が元からあったかと言えば、そんなものは全くなかったと断言できる。市民は「民主主義」という理念を信じて武器を持って立ち上がったのではない。市民はまず武器を持って立ち上がり、自分の欲しいものを奪い、したいことをした。そしてそのような「暴力」が、猛威をふるって落ち着いた後に、後から何か理論をもった人たちがその行為を正当化するものとして「民主主義」とかそういうことを言い出したのだ。
そして、何も目的もないのに(というか、目的がもっと確固としたものとしてあったならば、そもそも暴力なんて非効率的な方法は使わないだろう)暴力を保持し行使しようとする意志、それはまごうごとなき「狂気」である。
もちろん、その「狂気」は革命後やがて理論家によって収奪され、「理念」へと形を変えるわけだが、しかしだとしてもその「狂気」がなければ革命も起きないし「理念」も生まれないのだ。
これまでの事実を一言で言うならばこうなる。「革命」は狂気によってしかなされないと。
答えはイエスであり、ノーである。
はっきり言おう。ヤンデレが恋愛感情なるものに拘る限り、それは古典的な「ヒロイン」の変形でしかないし、そんなものに世界を変える力なんかない。神話の女神が世界を変えたか?いや、神話は常に私たちを抑圧するものでしかなかった。なぜなら、「恋愛」というものは結局狂気を偽装したシステムでしかないからだ。
だが、もしこのままヤンデレの「暴力」が極大化し、やがて恋愛という目的を凌駕する「狂気」となりえるのならば、もしかしたらヤンデレは、世界を変えられるかもしれないと、僕は思う。
つまり、ヤンデレが、その「暴力」を誰かの為にではなく、ただ「暴力」を行使する、そんなキャラクターとなったとき、それはフィクションの枠を越え、現実の人々に影響を及ぼすだろう。現実の女性が鉈を持ち歩き、痴漢たちをその鉈でぶった切る、そんな世界、決して悪くないでしょう?
とするならば、今僕らに出来ることは、よりヤンデレの「暴力革命」を推進させることに他ならないのではないかと、そう僕は考える。
この日へのコメント
ソフトヤンデレと暴力ヤンデレが共存できないわけじゃないんですから
より狂暴なヤンデレに需要が出るようにRirさんが
布教活動したらどうですか
ただ指をくわえて事の流れを見守ってるだけでは
何も変わりませんよ?
そういう意味でも狂暴ヤンデレ推進のエントリを今後も書いたらどうですか
それすらしないで期待してるとか革命とかアホらしい戯言ですよ
本気で言ってるなら行動して下さいよ
ほぼ突っ込みどころしかないけど、ひとつだけ。
>つまり、ヤンデレが、その「暴力」を誰かの為にではなく、
>ただ「暴力」を行使する、そんなキャラクターとなったとき、
↑ここから
>それはフィクションの枠を越え、現実の人々に影響を及ぼすだろう。
↑に飛ぶ過程が省かれてちゃ意味ないだろ。
暴力が恋愛感情を凌駕したヤンデレキャラが現れたあとに、
どういうプロセスで実際に女性が鉈を持ち歩く世の中になるの?
>ヤンデレキャラは今よりももっと暴力的であるべきだし
いやいやいや、単に暴力、狂ってるだけのキャラがヤンデレ言うんだったらずっと前からあるストーカーとかと変わらないでしょ
むしろ最近暴力ばっかで、↑みたいなのが多くて「別に病んでないじゃん・・・」と思ってしまう
現状ヤンデレと言う単語が出来たきっかけの空鍋だって狂気演出だけで暴力とかあまりないとおもいますが・・・(回想ではあったけど)
社会的意義(革命)を期待するのは非常に面白いと感じました。
もちろん、あくまでもフィクションでしかないヤンデレが、
実際に期待するような影響を与えられるかはわからないことですが、
現代社会での武装蜂起がかなり難しくなっていることを考えると、
思想的な影響力をフィクションに見出すのは一つの手段であろうと思います。
私は管理人さんほどの問題意識はないのですが、いわゆるヤンデレ好きな人たちを見ていると、どうも中には「ヤンデレ」=「(俺に)ベタ惚れでいいようにできる女」という観点があるようです。
だとすれば、ソフトヤンデレの傾向は、本来、コントロール(支配)不可能なヤンデレを、再度『女性としてあるべき』被支配者の立場に戻すための、非常に男性的な動きなのかもしれません。
……まあ、特に調査などしていませんので、
以上はまったくの感覚的意見です。コメント欄で失礼しました。
ヤンデレの意味分かってないな。
それだったら狂った女が暴れまわる女と、何故かソイツを愛さずには居られない男の物語とかの方が大好きだ。
前者しかヤンデレでないと言うならヤンデレなど地上から消えてなくなってしまえっ
狂った女が暴れまわる→狂って暴れまわる