ネットで呼びかけ集団いたずら(HAGAKURE Plus)
雨の中 それぞれの思いで参拝 靖国神社(HAGAKURE Plus)
を見て感じた事(といっても別に上の記事とはあまり関係ない)
2ちゃんねるというのはまあ当たり前の事なんですが日本の掲示板です(【広告】ちなみにWorld2chは世界の掲示板だよ)。従って2ちゃんねるのコミュニティの中にある規律ってのはとても日本的です。
日本的というのはどういう事かというとまあ色々あるんですが一つの性質として「政治的な事にあまり関わろうとしない」というのがあります。
参照:なぜJ-POPは愛ばかり歌うのか(ミラー)
1 名前:1 投稿日:03/07/20 17:02 (ID:)で、その日本人的な考えは当然2ちゃんねるにも現れてきてるわけで、、、例えば話題になった「折り鶴を折って広島に送るOFF」への批判も大概がそういう物です。
前から気になってます。
理由は売れるから。では、なぜ売れる?
心理学とか生物学とかの観点からも論じてみたら面白いと
思います。
30 名前:@ 投稿日:03/07/23 13:25 (ID:)
万葉集の時代から、日本の歌のテーマは、恋愛・自然・挽歌と決まっていた。
欧州や中国では昔から政治というテーマがランクするが、日本では売れんだろ。
日本人のノンポリは1300年前からの筋金入り。
日本では恋愛以外では、御当地ソングというか、各地の情景を唄った歌が受ける。
挽歌もヒット作がいくつかある。
31 名前: 投稿日:03/07/23 16:42 (ID:)
>>30
たしかにそうだな。
さらにいえば日本語自体が政治的なことを
歌うのに向いていないということでもある。
そういう難いテーマは漢文詩で歌ってきたんだろう。
2ちゃんねる 広がる折り鶴運動 「広島へ届けよう」といってもこの記事自体は普通なんですよ、問題はこれを「朝日(赤卑と読もうがそれは自由とします)新聞」が伝えたことなんですね。あの、朝日新聞が、、、
(略)
「反戦とかは深く考えず、だれかが喜ぶならと思っただけ」と、2日前この「オフ会」を呼びかけた20代の男性会社員。半日の有給休暇をとってきた。「お祭りのようで面白い」という大学生の男性、「ネットで『原爆の子の像』の話を知り、平和のためにと、小学3年の娘と一緒に150羽を折って持ってきた」と30代の主婦。動機は様々だが議論は抜き、名乗り合うこともなく、歌も歌わず、黙々と折る。
(略)
一方で、批判的な書きこみもたくさんあった。「面白半分に折り鶴折ろうとか言ってる奴の頭の構造疑う」「なにこれ?偽善売名?」。掲示板での議論は今も続く。
だが、新宿に来た大学生は言う。「何百羽も折ってれば1羽くらいは、被爆者への思いが入るんじゃないの」
「折り鶴」派は2ちゃんねるで、こう呼びかける。「グダグダ言うより、とりあえず折れ」
プロ市民【ぷろしみん】[名](ニュース系・社会系の各板)(どうでも良いけど2典って辞書としては「公平さ」に欠けるよな、、、何か2典初期の「悪魔の辞書」的な観点がまだ残っているというか、、、)
「市民運動家」のこと。
本来、「市民運動」とは政治のアマチュアである一般住民によって為される行為である。
しかし世の中には、市民運動を主催・指導することを生活の基盤としている人がいる。
そのような「運動家」は、「批判のための批判」をしたり、自分の居住地とは
関係のない地域で市民運動を主催したりする。
「プロ市民」という呼称は、このような本末転倒した運動家に対する皮肉として用いられる。
第5節 プロ市民が育つ参加と連携のまちづくり(計画実現のために)大体考えて欲しいのですが、もし市民が民主主義に関して「プロ」でなくなったら一体どうなるのでしょう?政治について生半可な知識しか持たず、確固たる信念もない、選挙の時にはとりあえず自分の知ってる議員(つまりタレント議員ね)に票を入れ、その人の公約なんか全然見ない、若しくは見たとしても鵜呑みにしてしまう、そんな人たちが大多数になったとしたら、、、
地域社会の主体者である市民はプロ市民としての意識を持ち、行政に携わる者は行政事務の専門家として、それぞれの役割を分担しながら一緒になってまちづくりを進めていかなければならない時代を迎えています。それも地球的視点に立ち広域的に手を携えながら進めていく必要があります。 更に、行政は自らの進み方としての行政改革を推し進めていきます。それらを実現し21世紀の鹿島市づくりのために、体制づくりやシステムづくり、意識改革を推進する「プロ市民が育つ参加と連携のまちづくり」を進めます。