「三人寄れば文殊の知恵」という法則(?)があります。この法則は要するに1人で考えるより3人で話し合って考えた方がよいアイデアが相乗効果により生まれるという事を示していて、これは民主主義がとりあえず今のところ地球上で一番ベストな政治体制とされている理由の一つでもあるのですが、この法則には実は前提となる条件があります。それは
「各人の知識がある一定のレベルまで到達していること。」
です。(ある一定のレベルっていうのは具体的に言うと「重要な物事は理性で考えることが出来る」って事ですね)
まぁ、当たり前のことなんですが、もし3人の中で1人とんでも無い大馬鹿者が居たとして、それでもしその1人を加えて3人で話し合う方と、その1人を除いて2人で話し合うののどちらが良いかと言えば、、、答えは明白ですね。
しかし日本では一応中学校まで義務教育がありまして、また高校への国の援助も非常に多額ですから一応高校までは普通の家庭なら子供を行かせる事が可能です。だから大体の国民の知識はある一定のレベルまで到達している筈なのですが、、、どうも最近は様子が違うようで。
しかしこれをゆとり教育が原因だとするのは早計でしょう、何故ならゆとり教育ってのは2002年度に始まった新学習指導要領で提唱されている事でして、もしその学習指導要領がそれらの原因だとしたら、それらの現象が始まるのは少なくとも今年ら辺から、しかし実際はもっと前からこれらの現象は始まっていました。
つまり、ゆとり教育が始まる前からこれらの現象は始まっていたのです。いや、もっと言ってしまえばむしろこれらの現象が学校で子供達の学習態度を悪化させ、それに困った先生達がゆとり教育を推進したのではないかと、そう僕は感じました(当たり前のことですが、理性で物事を考えられない人間は老若男女問わず人の注意を聞きません、何故なら理性という物が働かない以上、相手の意見を採り入れることは損であるという、幼稚な経験則に頼るしかないからです)。
じゃあ何がそのような現象の原因になったかというと、、、やはりマスコミの安易な理性批判でしょうな、「気持ち良く」「頭でっかちは駄目!」「理屈じゃ分からないこともある」、これらをスローガンにテレビのドラマや漫画雑誌などで徹底して流し、違う意見を黙殺した。それにより子供にはそのような情報"しか"入らなくなり、結果子供達から理性が失われたのだ。。。
勘違いしないで貰いたいのだが、別に僕は感覚を理性より尊重するような傾向の作品を放送したり販売するなとは言っていない、ただそれと対抗するような作品も対抗意見として放送したり配布しろと言っているのだ。対抗意見を(多分マーケティング上の理由からだと思うが)一切出さず、ただ極端な意見をずっと垂れ流してるんだったら殆ど言論統制と一緒じゃありませんか、果たして政府が進めている言論3法に批判など出来るのだろうか?
さて、ここまではなぜこの様な若者達の間で理性が尊重されない様になってしまったのかを説明しました。では次回は果たしてその様な現象は今後どうなっていくかという事について予想してみたいと思います。
P.S.今まで書いた文章は全て愚痴の類の物であり、根拠とかは一切考えていません。