記事No.405コメント欄にあった
オフ板でレイプと言う何とも残念な事件が起こっちゃいました。
本当にレイプかどうかはまだわからんのだけど、この加害者が
2典TIMEの記者なんですよ。
横にも名前が出てる”坊主”って言う人です。
私とは面識無いのですが、ここの他の記者とは面識あるっぽいです。
被害者は武者と言う20歳の女の子です。
坊主記者の自己スレからお祭りになり、ニュー速、ニュー速VIPへと飛び交ってる状態です。
今凄い勢いでスレッドが進行してます。
でもね一方的に坊主が悪いように思えない。
なんかあるよこれ・・・。
2典を見限る日が来たようだという言葉に則って全文転載しました。僕はこのコメント欄の言葉を全面的に支持します。
とりあえず2典は加害者側擁護か
見たやつは全員覚えとけ
(名無しさん/20040920022825)
性暴力の残酷さは、被害にあった後、さらに社会の偏見に曝されることだ。http://2ten.2log.net/archives/blog405.html
これほど、被害者が社会から責められる被害は他にないのではないか。
強盗被害に遭った被害者に、強盗された側が悪いなどと、人は言わない。
しかし、レイプは、された被害者にも『隙がある』と、どこかで「世間」は言う。その世間の言葉に、被害者は自分が自分として生きていくことすらも危うくされる。
一緒に出かけてしまったのが悪かったのではないか。
手紙を出したり、電話をかけたのが間違っていたのではないか。
社会にある偏見が、被害者を追い詰める。
性体験の有無とは、何のための質問だろう。被害者だって初めてではないと、被害を過小評価するのだろうか?被害者の年齢が増すほど被害の事実さえ疑うのだろうか?なぜ電話したの、なぜ相談しなかったの、とは、被害者の「落ち度」を言いたいのだろう。抵抗したのかという質問は、被害者が必死に抵抗するのが当然というメッセージを、被害者に投げつける。
加害者の多くは、被害者と顔見知りだったり、非常に親しい関係にある。
しかし、一般には、「暗い夜道を一人歩きのとき、突然見知らぬ男性から」被害に遭うものという偏見・思い込みがある。
これらの偏見は、「レイプ神話」(RAPE MYTH)という言葉で言い表されてきた。
何か最近性と社会の関係について考えさせられるニュースが多いですね(僕がそんなニュースばっか集めていたという説もあるが)。しかしそれらのニュースに対する議論を見てるとどーも何かウヨサヨ問わず社会の維持とかそういうものに拘り過ぎている気がするんです。というわけで今回は性と社会に関係するニュースを取り上げながら、本当に性は生に必要不可欠なのか?ということについて考えてみたいと思います。
それではまず最初にこちらの話題から
柴門たまき@はてなダイアリーキーワード
エルフ作下級生2のヒロインの一人。主人公とは子供の頃からの幼なじみで明るく元気な女のコ。何をしでかすかわからない主人公のお目付け役として、あれこれと世話を焼く。主人公と同じ3年A組でクラス委員をしながら、主人公が部長を務めるキックボクシング同好会のマネージャーも勤め、放課後は。瀬津町内にあるビリヤード場でアルバイトをしている。というものです。はてな近辺に住んでいる人たちとかは割と耳にする機械が多かったのではないではしょうか?まぁこの論争自体をネタだと思いたい人も結構多いみたいですが、そういう人を除けばこの論争に対する姿勢には大きく二つあると思います。
恋愛ゲームの典型的なヒロイン像である世話焼きの幼馴染みとゆー属性を持ちながら、ソレに相応しくない今風の設定(他に好きな男がいて非処女)があるとフライングゲットしたファンが報告した事により、エロゲーに幻想を求めるエロゲーファンの反発心から2ちゃんねるのエロゲー板のエルフスレで、発売前から凄まじい祭りが起きた。
こんなとんでもないものをネットで見つけてしまうとは思ってもいなかった。なかなか名文だと思うがなぁ・・・というのは僕の感想
私は普段のように適当にネットサーフしていただけだったのだから。
(略)
こんなことが許されていいのだろうか?!
私はこの激しい怒りをおさえるなんてとてもできない!
想像してみて欲しい。女も男もだ!
貴方はある日、温泉とか銭湯とかに行っただけなのに、
その貴方の着替えている姿が盗撮されていて、
しかもその画像や映像が商品として高値で取引されている様を!
そしてその盗撮ポルノを見ながらぺ○スをしごいてマスターベーションしている変態野郎どもの姿を!
そんな盗撮ポルノの被写体にされるのは、自分や貴方だけでなく、
貴方の親兄弟、友人や恋人・配偶者や我が子や教え子たちなのだ!
このような事態を放置しておいていいはずがない!
もしもこれを知った人がこの様な事態に憤りを感じるならば、
もう黙っているべきではない。
盗撮ポルノなんか犯罪だ!と声を上げよう。
先ずは何が出来るのか、どんな方法がいいのか、智慧をしぼるんだ。
児童ポルノだろうが大人ポルノだろうが、
盗撮ポルノは全て非合法化すべきだと私は考える。
人生とは絶え間ない闘いであるということを私は知っている。
闘ってやる。死ぬまで闘ってやる。死んでも闘いぬいてやる。
それが私の人生だ。
まー、これだけ見れば多くの人はリベラル派の意見を支持すると思うので、一応ラディカル派の意見を支持する僕(ただ普通のラディカル派とはちょっと違う意味なんだけどね、それは後で説明します)からちょっとラディカル派の意見の補足というか擁護をさせていただくと、リベラル派の人達は
- 子ども、とくに少女にふんどしを着用させること自体が性差別であり、性暴力そのものだ。(ラディカル派)
- 性の自己決定権という観点から、ただ伝統という名のもとに子どもに締め込み*2を着用させるのは間違っている。締め込みを恥ずかしがる子どももいるんだから、着用については子どもの意思を尊重しなければならない。(リベラル派)
- 地域の伝統行事であり、地域の連帯を深め、子どもたちに伝統を教え、それによって地域社会の一員としての自覚を持たせるためにも、締め込み着用は必要である。(コミュニタリアン)
理想としている社会が異なる以上、何を書いても平行線にしかならないような気もします。「締め込みじゃなくても山笠文化は失われない」とかそんな話はどうでもいいんですよ。俺らにとっての文化は「ふんどし幼女でオナニーすること」なんだから。という意見です。この人はつまり「お前らが幾ら嫌がろうが、俺達はふんどし幼女でオナニーするのを止めない!」という考えなのです。というより
(略)
全ての人間は存在することによって性的に欲求され常に犯されているんですよー。
変態なんて行くトコまで行ったら石にだって欲情すんですけど。私は花のつぼみで勃起したことあるぜ! そんなに何でも規制したかったらイスラムみたいに黒い布かぶって暮らせっつーの。 (滅)たんも書いてますが、「君が黒い布をかぶっても私はハァハァすることをやめない!」という文を見るに、あまりふんどしは関係ないのかも知れません。
そしてその盗撮ポルノを見ながらぺ○スをしごいてマスターベーションしている変態野郎どもの姿はやはり被害者視点に立てば、嫌悪して当然のものだと思います。
1 ちゃお 小学館 12298と、この様にちゃおと他の雑誌の間で売り上げ部数が大幅に違うんですね。この現象の原因はそりゃ色々あると思いますが、しかし重要なファクターとしてあげられるのかちゃおは低年齢のなかでも割と低い年代にターゲットを絞っているという事です。現在はちょっと成長するともう漫画は卒業するというのが大多数なのです。何故か?何処かのニュースで「携帯電話代がとても掛かるから」という事が挙げられました(ソースは忘れた)が、まさにその通りでしょう。
2 なかよし 講談社 5417
3 りぼん 集英社 5171
わたしは今日まで生きてみました茨の海-鬼塚ちひろ←生産を奨励しない宗教
時にはだれかにうらぎられて
時にはだれかと手をとりあって
わたしは今日まで生きてみました
そして今 わたしは思っています
明日からも
こうして生きて行くだろうと
低空を滑る私の非力な強さ
不快なロープが燃え落ちて行くのを見てた
貴方の放り投げた祈りで 私は茨の海さえ歩いてる
正しくなど無くても 無くても 無くても 無くても