2割が「死んでも生き返る」=「何となく」理由に-小中高生の意識調査
についてコメントしようと思ったんだけど
やら
『2割が「死んでも生き返る」=「何となく」理由に-小中高生の意識調査』に関する詳細情報
に僕の言いたかった事なんざとっくのとんまに書かれていたので書く気を無くしてしまう。
しょうがないので今回は「書く気を無くしてしまう」ということについて考えてみよう。
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まー、書く事が似たり寄ったりになるのは仕方のない事だ。「リアルの反芻とアンリアルとの戯れと無としての自己」(id:rir6:20041115:1113764290)にも書いたように人の一生に受け取る情報は、この高度情報化社会に於いては殆ど同じなのだ。人が情報を解釈するときに使うのは情報な訳で、その元情報が同じで、しかも解釈する時に使う情報が同じならば当然同じような解釈の仕方がぞろぞろと並ぶ訳だ。
まぁ、当然そのような状況に於いては、皆殆ど差異がなくなり、その結果自分自身のアイデンティティも無くなってしまうことになる。それ故自分探しに遠い異国へ行くなどの行為によって「人とは違う情報の摂取」をしうとする訳だが、当然そのような行為だって結局その行為を選ぶ自分に特異性が無い以上、同じようなことをする人間がぞろぞろ現れる訳で、そうするとそれは結局「誰もがしている体験」となり、またアイデンティティ喪失の危機となる。
そこで「もっと尖ろう」=「特異性がある経験可能領域に行こう」とする事が、まあ80年代に流行ったらしい(*1)「差異の追求」とやらに繋がっていくわけだ。そのためその頃の日本は無駄にディープ化していった(*2)のです。
しかしバブル崩壊により国内でそんな事も出来なくなり(*3)、しょうがないからアイデンティティの消失した若者は海外に行った(*4)。しかしそれも前期のメカニズムによってどんどん「平べったくなっていく」=「特異性が奪われる」ことになり、結局日本からどんどん遠くに行く事になり、果てはイラクか北朝鮮ということになるのだ。そしてその動きも、近年の北朝鮮バッシングと香田さん殺害事件によって遂に終止符が打たれる。
とまぁ、香山リカとかの本をちょっと立ち読みすりゃ誰でも語れそうなことを長々と書いた訳だが、今回書きたいのはそんな昔話ではない。ただ、とにかく現在では「誰も書いていないことを書く」なんてことは果てしなく難しくなっているということを言いたかったのだ。
で、本題に入ろう。僕たちは余程特殊な才能(*5)限り、自分しか書けない文章を書くなんてまず不可能なのだ。よくBLOGについてうんちくをだらだら垂れ流しているBLOG(*6)では「ニュースに対して一言だけ『面白かった』みたいなコメントを付けるスタイルは止めましょう。自分の感想を書くのが閲覧者に対する礼儀です」という様なことを書いているところが多々あるが(*7)、例え一言コメントだろうが長々とした感想だろうが、それが他人と同じようなものだったら同じ文だけ邪魔なのだ。むしろ長い方が手間掛かるだけたちが悪い(*8)。
じゃあそれが分かっているにも関わらず(*9)、何でBLOGは増えるのか?何で似たような文章はウザイと分かっているにも関わらず、僕を含む多くの人はBLOGを作り、他の人と似たような文章を書くのか?
これについて考えていたらちょっと面白い記事を見つけた。
ネット論争のルールが変わりつつあるのかも。@みそひともじの夢
岡田斗司夫氏が書いた「僕たちの洗脳社会」という本がある。今回のリンク先。そうなのだ。ネット界の論争ってのは殆どの場合(*10)「支持している内容がどうか」という観点よりも、「どちらが多数派か」でROMの人たちは判断しているのだ。別にこれを悪いとは言いません。だって第一第三者であるROMの人が内容に優劣なんぞつけるのは不可能な訳だし、もしROMの殆どが第三者では無いという場合(*11)場合にしたって、結局訳の分からない事の方が圧倒的に多い。そんななかで勘で選ぶのと多数派の方選ぶの、どっちが「賢いか」と聞かれたら、悔しいけれど僕は「多数派へ行く」と答えざるを得ない(*12)。出版されているものなのだけど、前文がネットに挙げられているので、読む余裕のある人は読んでみると良いかもしれない。
これが書かれたのはNifty Serveがまだまだ元気だったころだ。書いた本人もどの辺まで本気で書いていたのかはわからないのだけど、
これからは「誰もが他人に影響を与えることに競争する社会」と言えるでしょう。とかイメージリーダーが一声かければ何人のボランティアスタッフがどれだけ働くか、何人のサポーターがどれだけ買ったり参加したりするか、これがその企業のイメージキャピタルだ、とも言えます。とか言った話が、ここ数日起きているいろんなネット上のもめ事を説明しているように見える。たとえば、切込隊長vs団藤氏。これに対してトラックバックしているブログのどこかで「信者の多い方が勝つんだよな」みたいな言及があった。これ、ほんとに上記を言い表している一言ではないかと。(どこに書いてあったんだっけな。見つけたら教えてください)実際支持者の数で言えば切込隊長のほうが圧倒的に多い訳だし。
(略)
そしてそれ故に、ある人をネット上で勝たせたいと思う人(*13)は、もう他人の意見のコピーでも良いからその人に賛同する応援を寄せて(*14)、そのある人を勝たせようとする。ネット界の論戦なんて、実際はそういう「応援合戦」が殆どなのだ(*15)。というか、現在に於いてはそのようなBLOGの綴り方しか僕たちには残されていないのだ。
そしてその予行練習として、僕たちは普段からどーでも良いニュースに他人と同じどーでも良いコメントを寄せる。まぁそれをBLOGブーム前から書き始めてきた人たちは苦々しく思っているらしいが、しかしそういう人たちだってそんなに特殊な意見を載せている訳ではない、ただ、割と知識の幅が広いがためにネット以外の部分からネタを引っ張ってこれるが為、「独自性あるBLOG」とか言われているだけなのだ。別にその手法自体はどーでも良いが、その手法を知っているからといって得意になって「最近のブロガーはオリジナリティが無くて駄目だなぁ、その点おれのBLOGは・・・」とか言っている人にはこう言っておきましょう「我々はか弱い。だからあまりいじめるな(´・ω・`)」(*16)と。
何か何が言いたいのか自分でも分からなくなってきましたが(*17)、要するに「僕たちにとってBLOGを書く手段は、誰かの応援もしくはアンチ以外に無いのだ。だからそれが憎くてもあんまりいじめるな」ということを言いたかったのかもしれません・・・いや、違うな。そうじゃなくてて、「何で僕は書く気が起きないのか?」ということだ。
要するにだれかの応援の立場に立てばBLOGを楽に書ける筈なのに、どうして書かないのか?という問題だ(*18)。うーん。
多分それは僕の応援が人と比べてちょっと特殊であるからなのだと思う。もちろんその特殊さだって別に「少数」という意味ではなく、ただ「性質が特殊」というだけの意味なのだ。
前にSick氏は僕の事を評して「全ての社会を憎み敵対する16歳・RIR氏」と馬鹿にしたのだが、しかし実際これは当たっている。僕は結局「世の中」というものに対するアンチという姿勢を取る事によって、あたかも「だれも応援していない=誰とも共同していない=一人=自我が確立している」という風に自分のアイデンティティを偽装していたのだ。しかし実際は「世の中」というのはアンチを必要としている。アンチを含めて回り続けるのだ。結局は僕は「世の中」の応援団の変形型にしか過ぎない。そのことはこういう人の存在を見れば一目瞭然だろう。世界は僕のような小物を相手にしてくれる程暇では無いのだ。
そう、それ故に僕は書く気を無くす。自分の姿勢が偽りである以上、それに座り続ける事は不誠実ではないか。これが僕が書けなかった理由なのだと思う。
「これだけ書いてなーに言ってるんだか、結局僕がBLOGを書くのはただ『人に自分を見られたいから』だろう。で、それをもっと効果的に見せる為にわざと『自分は応援なんて姿勢は出来ない』なんて姿勢をする。このかまって野郎が!」
*1: そのころ僕は物心着くか着かないかのころだから当然知る由がないんですけどね
*2: まぁ僕はそのディープさは結構好きなんで、割と80年代に憧れるんですけどね。だから最近の80年代ブームはちょっと嬉しかったり
*3: ディープ化は金が掛かるのだ
*4: =猿岩石
*5: 僕はそういうものがあるのかどうか疑問だが
*6: ま、僕の所も含むんですけどね
*7: というか僕も似たようなこと書いていた気がする
*8: 何でここまで自虐をせにゃならんのだろう?
*9: BLOG開設者は殆ど閲覧者なのだ
*10: というか僕の場合全てなんだけど
*11: 要するに「国家的な問題」とかそういう奴だ。でも実際は国家なんて日常の生活に於いては殆ど不可視なんだから、実際的にはみんなが「第三者」としてその問題を扱うし、それは国家を安易なリアリズムから遠ざけるので良いと思うのだ。自分でも言ってる事が良く分かんないけど。
*12: でもまぁそれでも僕は「何で賢くなくちゃいけない?」という苦しい自分への言い訳を胸に、多数派に背こうと思ってるけど・・・
*13: 要するに信者だ
*14: 応援だから「賛同している意図」が分かれば、他はどうでも良い。「○○は正しい、××は氏ね」とかでも良いのだ
*15: ま、僕もそのシステムに乗じて随分と甘い汁を吸ってきたからいーけど(でも苦い汁も飲まされた・・・)
*16: あぁ・・・流行りの言葉を安易に使う。これも駄目ブロガーの特徴
*17: 最近長文を書くとこの病気が出てくるようになりました。ま、以前はただ「『分からない』ということが分からない」だけだったんですけどね。しかしそちらの方が幸せだった気がする。
*18: あ、同じ事を二度繰り返してる