Rir6アーカイブ

2005-02-08


[思想]「悩み続ける」という戯れ

幼児的全能感に付いたSick氏のコメント

>そして僕は知っている。こんな様な悩みもどうせ20歳を過ぎれば消えてしまう事も、大人になったらきっと今の悩んでいる僕を「あの頃は若かったなぁ……」とかそんな感じで見る事を、そして、僕は「人間」から「動物」になるのだろう……

違う違う、悩みがなくなるんじゃなくて、時間が経つごとにその悩みの大多数と自分とが折り合いがついたり、徹底的に喧嘩別れしてたり、新しい悩みが出てきたりするんだ。悩みと自分とがどういう位置付けでどういう接し方をするか、ひとつひとつ考えたり、あちらとこちらの整合性が取れなくて悩んだり面倒になったりして、死ぬまで考えるんだよ!とわたくしが気付いてから数年しか経ってないので、同い年のSickさんとRIRくんを比べたらRIR君のほうがずっと頭良い。同じような事(同じような、ってのは印象な印象)は考えてたけど全然バカだった。でも似たような事考えて生きてる16,7歳(18になったんだっけ?間違ってたらごめんね)と24歳とじゃ16,7歳の方が全然バカだね!

ということで死ぬほど考えてください。素敵なことだとおもいます。

考えて、それで、君はそれをどうするかね?と思う。自己批判の方のエントリもかっこよかったぜー。SickさんはRIRくんの大ファンだ。RIRくんが Sickさんを嫌いな大人の象徴として見るのなら、自分で出来る「嫌いな大人像」をいくらでもやってやる所存であります。決め付けたり、「若いって素晴らしい」で切って捨てたりな。

にコメント欄で答えようと思ったんだけど、何かコメントが書けなかったの(自分のBLOGなのに!)で記事にしてアップしとく。

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>>Sick

>死ぬまで考えるんだよ!とわたくしが気付いて

ていうか「もう『悩み続ける』なんて言い訳は通用しなくなっている」というのが僕の主張なんだけど、何かみんなそのマジックワードを出すねぇ

終末後の音楽へと

↑の「最後の終末」というところでも述べてるんだけど、確かに「悩みつつける」とか「探し続ける」とか「考えづける」とかっていうのが人間というものを支えている時代はあったのよ、というか近代っていうのはそういう考え方で来たから人類史上もっとも発展したんだよね。常に悩み、探求し、未知のものを見つけ、また新たな未知を発見すし、またその未知に取り組む……そのような循環のもとで人は人生を過ごし、科学は発展し、国は植民地を探し、企業はひたすら利益を求めた。だから、Sick氏の言う事は多分1995年前後ぐらいまでなら十分有効だったと思います。

しかし上記のリンク先にも書いたんだけど、その様な「探し続ける」というスタイルが崩壊したこと、それこそがまさにオウムを産み、エヴァを産み、そして、動物化という避けがたい潮流を産んだのです。詳しいことはリンク先を見て貰いたいんだけど、今の世の中にはもう未知なんてものは無いんですね。それ故に、例えば無根拠に自我に無限性=未知性を見つけられる様な人(僕から見りゃ「精神的なバカ」なんけど)なら何とかなるかもしれないけど、そうでない人はもはや「悩む」ことすら出来ないんですよ。何故なら、自我に無限性を見いだせない人が悩むためには、自分の外にある「知らない物」に刺激を受けることによって初めて「悩む」ことが可能な訳ですが、しかし今はもう「知らない物」なんて無い訳で、それ故その新しき物と古き「私」の闘争=悩むことによって、新しき物を生み出すことは不可能にならざるをえない。これをある人は「歴史的闘争の終わり」とか言ってるそうです。↓

http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C6%B0%CA%AA%B2%BD

感覚的に言っても、例えばエヴァの最終回↓の台詞で

http://www.bekkoame.ne.jp/~akikurin/tvreport/tv26b.html

>何故、生きているの?

>それを知りたくて生きているのかな?

というやりとりは一応あったけど、しかしそれはストーリー上刺身のツマ位の扱いでしか無かった。多分この台詞は1995年以前だったらとてもストーリー上重要な台詞になったでしょう。しかしもはや人々はこんな台詞では騙されなくなったんですね。

それ故選択肢っていうのは二つしかないんですよ(というか「無かった」なんだけど)。一つは全てを無に帰すという方向。オウムはこの方向に向かった訳なんですね。そしてもう一つが、「悩む」ことを止め、ただ自己の欲求を満たす。で、もはやオウム的な方向が完全に無理という事は1990年代の最後のあのオウムの敗走によって証明されてしまった訳で、で、それ故僕は「これから先は『動物』になるしか無いんだろうなぁ」と書いたのです。

確かに「動物」になっても「悩む」こと自体は無くならないでしょう。しかし動物になったとき、その行為にはもはや何の特権性もなく、ただアニメキャラに「萌えー」とか言ったり、ひたすら「お友達」の数を増やしたり、2ちゃんねるで「電車男」みたいなゲームに参加する、要するに「動物の『戯れ』」と同じような水準に落ちるのです。

はっきり言うと僕はその様な「戯れとしての『悩み』」は嫌いです。しかし実際もう既に僕の悩みはその水準と殆ど等しい所まで落ちているでしょう……

でもまぁ、Sick氏の言うことは確かに最近主流となっている考えなんだろうけどね。例えば不自由論↓

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480061320/nwatch-22

という本なんかはまさにSick氏と同じようなことを言っている、「考え続けることが重要なんだ」と。でもやはり僕は何と言われてもその様な言論はもはや有効では無いと感じるなぁ……

あと、

>RIRくんがSickさんを嫌いな大人の象徴として見るのなら、自分で出来る「嫌いな大人像」をいくらでもやってやる所存であります。

そういう「あえて」というのがまさに「最後の人間」の一つの特徴である「無意味な形式と反復と洗練に没頭する『日本的スノッブ』」だと思うのだ。まぁ、要するに「2ちゃんねる的」ってことなんだけど……