http://d.hatena.ne.jp/ueyamakzk/20050608より
このFlashはエヴァの影響を受けているというよりは、そのエヴァの格好いい所だけ真似した(これが僕としては許せないのだけれど)踊る大捜査線の影響を受けて作られたFlashでしょう。極太明朝というのは踊る大捜査線でもよく使われてたそうですし、曲に使用されているSpending Time in Preparationも踊る大捜査線ではよく使われていたそうですし(ソース:http://homepage1.nifty.com/taka35/odoru.htm)。何より靖国神社のお守りが重要な物語のキーとなる踊る大捜査線は何か極東厨と相性が良さそうだし:-)
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第一もしエヴァ好きがこのFlashを作ったとするならば(ちなみにこのFlashの作者イピョウは他にも「かく戦えり●近代日本」というFlashムービーを作っていたり(*1)、「逆転極東裁判」という偏向教育ゲーム:-P(*2)を作っていたり(ちなみにこのゲームへの批判は「成城トランスカレッジ! ―戯言@はてな― ◆判官贔屓のふりをした反韓ゲームに反感を覚えますた、の巻。」が結構良い)する人です。まー要するに僕が大嫌いな人ですな。)、その人はあの劇場版エヴァ(asin:B0000DJ299)における戦略"自衛隊"によるネルフ本部職員の大虐殺、さらに言えばその映像の源泉にある岡本喜八の作品を全く無視してる訳で、はっきり言ってそんな奴を僕はエヴァ好きとは認めたくないです。
まぁ、確かに幾らそんなこと言ったってエヴァっていう作品が初期においてはそういう「戦争のスタイリッシュさ」みたいなものを前面に出していたのは事実です、どう考えたって列車砲とかを出している場面では庵野氏は明らかに今回問題のFlashで応援されていた「軍事板」の住民と同じメンタリティで持って作品を作っていた(*3)し、更に言えば幾ら庵野氏が戦争の悲惨さを出そうとしたって、戦争を一切経験していない以上、結局それが既存のアニメなどをオタク的に模倣したものでしか無いことは庵野氏自身も認めている。今回のFlashの難しい文字を羅列して格好良さを醸し出す手法(そしてそれにより、自分が発しているメッセージに疑義を持たせないようにする)だって、まさにエヴァと全く同じ手法です。その意味では、確かにこのFlash(*4)はエヴァと似ていると言うことは可能でしょう。
でも、このFlashとエヴァではただ一つの、極微妙だけど、しかしとてつもなく重要な違いがある。それは「反省」の有無だ。エヴァは自分の立ち位置を徹底的に反省した。TV後半や劇場版なんて殆ど反省の場面だ。そこで庵野氏はエヴァにのって使途であるカヲルを殺したシンジの自己批判を通して殺すことを反省し、そして実写シーンを出して(自分も含めた)オタク達を徹底的に批判した。さらにそれに留まらず、最近でもエヴァ自体を「衒学」だとしちゃったりして徹底的に反省している訳です。もちろん徹底的に反省はしたけれど、別に全てを放棄した訳ではないことは皆さん劇場版のラストを見れば分かることなんですけど(*5)、でも例えラストが納得いかなくても、そこに至るまでいかに徹底的に反省したかは作品を見れば火を見るより明らかな訳で、そこまで反省した以上、例えそのラストが気に入らなくても僕は一定の評価はします。
しかしではこのFlashに「反省」はあるか?全くない!これはその作品の内容が正しいプロパガンダ(そんなものがあるのかどうか知らないけど)かどうか以前の問題です。例えどんなにそのメッセージが正しいからといって、表現者ならば自分のメッセージを反省することを怠ってはいけないでしょう。「自分が発しているメッセージは本当に正しいのだろうか?」という思念をすること。これは表現者としての最低条件です。そしてもしそのような思念をしたなら、その痕跡は必ず何らかの形で作品に残ります。しかしこの作品にはそれが全く無い!このFlashの思考はただひたすら直線的に「ジエイカンエライ」(これが「自衛隊」ではなく「ジエイカン」と、個人に焦点を当て、さらにカタカナにしてしまうことにも、僕はどうしようもない嫌悪感を覚えるのだけれど)と言うこと、ただそれだけなのです。ですから確かにこのFlashは宣伝、いや洗脳ムービーとしては一級の品質を持っていることを僕は認めます。しかしだからこそ、僕はこのFlashを侮蔑するのです。
そりゃ僕だって今の時代に「反省」を行うことがどんなに難しいかは良く分かってますよ。私たちにはもはや反省する主体の「自己」すら残っていない、反省を要求する絶対的他者も残っていない、反省をしなければならない過去も残っていない、全てが自由となり、そしてその代わりに人は何も出来なくなったこのセカイにおいては、反省は殆ど不可能に近いです。だからこそ多くの人は反省をすることを放棄し、そして現実の偶然性のもとに怠惰に生きる物体となるのでしょう。しかしそれではいけない、私たちは理性の名の元に宿命を取り戻し、そして反省をする人間であらねばならないのです。何故か?私たちは「表現者」だからです。「表現者」は人間であらねばならない。例えそれが、どんなに不可能で茨の道に見えたとしても。
所で、もしエヴァを使って自衛隊という存在を擁護しようとするならば、一体どのような表現をするのが適当なのか?僕はそもそも今の自衛隊は自衛権以上の力を持っていると思っている(北朝鮮相手には余りに無駄な重武装だと思うし、「テロの脅威」と言うならばテロは戦争ではなく犯罪なのだから警察力によって鎮圧すべきであり、軍事力よりは警察力を増強すべきと思うのだ(*6)。最も、その「テロの脅威」だって昔は確かに矮小化されていたが今は誇張されているだろう。)から擁護するつもりはさらさらないのだが、しかしもし擁護するとならば次の様にするだろうね。
劇場版エヴァラストのシンジとアスカの首絞めシーンを延々と流し、「キモチワルイ」という言葉が出た後、こういうテロップを流す。
『人は、例えどんなに一緒にいようとしても、時にはどうしたって一緒に生きられない他者に出会うときがあります。そんなとき、私たちはあなたの腕と掌(ここから連想">*7)になり、この場面の様にあなたを守ります。
自衛隊』
だから僕は劇場版エヴァのラストが嫌いなんです……
*1: 「何で人々は右傾化するのかなぁ?」なんてのんびり言ってる人達はまずこれを見た方が良い。ま、少しでも良心のある人なら見た途端に胸がムカムカしてきて思わずパソコンの画面をぶっ叩きたくなってくるだろうけど、でもこれを見れば何で多くの馬鹿ニュースサイトの管理人共が右傾化するのかが良く分かると思う。こんなのを何の知識もない時にいきなり見せられたらねえ……ま、だからといって彼ら馬鹿ニュースサイトの管理人共の罪が免罪されるわけじゃないけど
*2: 皮肉
*3: しかし軍ヲタはよく「軍事のことを良く知っているからこそ、私たちは現実的な平和主義者となれるんだ」とか言い、そして僕もそれを信じていたんだけど、でも今回の件で軍事板があの最も夢想主義的で戦争好きな極東板の援助を受けていたって知ってしまった以上、やはり僕は軍ヲタに対して猜疑心を持たざるを得ない……
*4: や「踊る大捜査線」、今回問題となっているFlashへの批判は全て「踊る大捜査線」にも当てはまると思います。
*5: そして僕はこのラストは嫌いである
*6: 自衛隊を増強して北朝鮮の拉致を防げましたか?