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2005-08-08


[脱・マンガ嫌韓流][政治思想]初めに

この記事は脱・マンガ嫌韓流という特集の一つです

あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである。

マハトマ・ガンジー

自分自身への励ましとして。

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政治的共同体としての「日本」を守る為に

さて、これから僕は脱・マンガ嫌韓流という特集において『マンガ嫌韓流』の内容を色々な観点から批判していくわけなのですが、その前にちょっと「何故僕が『マンガ嫌韓流』を批判しようと思ったか?」という動機の説明と、これから始める批判を読む前に見ておいて欲しい注意事項を書いておきます。

まず「何故僕が『マンガ嫌韓流』を批判しようと思ったか?」ということです。僕個人は実は韓国という国そのものに対しては余り興味はありません(というか日本を含めたあらゆる「国」に興味が無いんだけれど)。だから別に僕は個人的な理由、つまり「自分は韓国が好きだから、韓国が不当に悪く言われている(*1)本は許せない」とかそういう理由から『マンガ嫌韓流』批判を送る訳では無いのです。では一体何で僕はこの『マンガ嫌韓流』を批判するのか?

それは―自称「愛国者」である極東・ハングル板の嫌韓さん達からしたらちょっと訳が分からないかもしれませんが―「日本」を守る為です。但し僕の守ろうとする「日本」というのはあくまで憲法を柱におく政治的共同体、つまり現在の日本国憲法前文が定義する「日本」

 日本国民は,恒久の平和を念願し,人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて,平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して,われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは,平和を維持し,専制と隷従,圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において,名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは,全世界の国民が,ひとしく恐怖と欠乏から免かれ,平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

な訳であって、文化的カテゴリー(僕は思うのだが">*2)であったり、単なる利益集団(*3)だったり、ましてや天皇制のようなものによって定義される、つまり極東・ハングル板の極東・ハングル板の嫌韓さん達の考える<日本>とは全く違う意味での「日本」を僕は守りたいと思う訳です(こういう考えを憲法パトリオティズムと言うらしい)。

例えば僕は「『私』と『他者』の境界は何処なのか?」とか「『世界』はどのような仕組みにおいてその存在を保っているのか?」とか、そういう他人から見ればどーでも良い様なことを考えているのがとても好きな訳(思想カテゴリの記事を読んでご意見下さい">*4)ですが、しかしそのような(他人から見れば)無駄な考えをしていられるのも実は憲法を柱におく政治的共同体としての「日本」に僕が依存しているからなのです。一応僕はそのような趣味の思考を行っているときは自分を「何者にも束縛されていない」という風に仮定するわけですが、しかし実際は確実に僕の思考は政治的共同体としての「日本」に依存している訳です。例えばもしこれが天皇制における<日本>だったりしたら、それこそ僕はそんなことを考えられる間もなく愛国心教育を叩き込まれているわけで、僕は、もし自分が好きなことをして生きていられる権利を守ろうとするならば、時には憲法パトリオティズムにおいて政治的な行動もしなきゃならないと思うのです。

さて、では政治的共同体としての「日本」は一体どのような性質を持つのでしょうか?何度も口を酸っぱくして言いますが、この文脈における「日本」は、大多数の日本人が妄想している<日本>とは全く違う、というかむしろ正反対と言っても良い存在です。この「日本」の性質を知るには憲法をじっくり読むのが手っ取り早いのですが、さすがに全部読んでいる暇はないので要点だけ述べます。まず最初に、政治的共同体としての「日本」はその原則として対話を主張します。つまり、他者と接したときはまず対話をその共同体の成員に求めるのですね。これは日本国憲法第九条でも

武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

という風に盛り込まれていますね。しかし一部にはこれを悪用して「自分は他者と対話しようとしたが、しかし他者は対話に応じなかった。だから自分は他者を対話に引きずり込む為に敢えて対話以外の手段を用いるのだ!」と言う人が居ますが、自分がまず厳格にこのルールを遵守し無い限り、もし一時的に他者がこのルールを用いたとしても、それは一時的なものにしかなりえません。故にあくまでどんなに他者が対話を拒否したとしても、自分たちはこのルールを守らなければならないのです。そして、政治的共同体は他者との対話(*5)を行うが故に、まず他者の存在を他者として受け入れます

次に、政治的共同体は常に自己理解=自己反省を行わねばなりません。政治的共同体は決して真空(自然状態">*6)から産まれた訳ではなく、かならずそこに至る歴史的背景があるわけで、そしてその歴史的背景によって政治的共同体はある面では正当化され、そしてある面ではその可能性を封じられているのです。ですから、政治的共同体は過去を反省することによって、自己の正当性と、自己を束縛しているものの消化が可能になるのです。しかしこれはとても大変な道のりです。確かに過去に対する解釈は変えることが出来ますが、しかしどんなに頑張ったとしても過去の史実そのものを変えることは出来ないのですから。良く「過去は裁いてはいけない」という人が居ます。が、しかしこれは「過去は裁けない」の誤りでしょう。実際、どんなに頑張ったとしても、未来の人が私達に助言を与えることが出来ないのと同じ理由で、現在の人は過去を裁けないのです。ですが、例えそうだったとしても、私達は敢えて過去を裁かなければならないのです。もし過去を裁くのを止めたのなら、その途端政治的共同体はそのダイナミズム(=対話運動)を停止し(真空状態では対話は不可能な訳で、対話をする為には必ずその判断基準が必要なのです)、そしてそれはつまり政治的共同体としての「日本」が死ぬことを意味するのです。

そして第三に、政治的共同体としての「日本」の成員、それはそこに属したいと求める全ての人々です。何故なら政治的共同体としての「日本」は<日本>みたいに民族的区分けや文化的区分けではありませんから、共同体内外を分けるにはその人物の希望しか調べる方法が無いのです。更に言えば、政治的共同体としての「日本」は他者との対話を求めるのですから、決して他者を(自己と他者両方の視点から見て)正当な理由無しに拒絶してはいけないのです。

政治的共同体の精神は大きく分けてこの三つです。もちろん、↑のルールを更に深く考えていくと必然的に「法精神の遵守」や「自己決定権の尊重」、「実質的平等」などの具体的ルールが導き出されるのですが、とにかくその大本にある精神はこの三つで大体説明できると思います。

さて、ではこのような精神に照らし合わせて『マンガ嫌韓流』はどうなのか?詳しくはこれから述べていきますから、ここでは概略に留めておきますが、歴史問題に関して言うならば『マンガ嫌韓流』は決して歴史研究を自己の共同体の批判的な検証に役立てようとはしないし、相手の気持ちを考える対話を行おうともしない。在日朝鮮・韓国人のくだりでは「日本人」を自明のものとして扱い、在日朝鮮・韓国人を徹底的に排除しようとするし、文化のくだりなんかはもう国家と文化を全く同一視しているわけです。ただ間違いが多いというだけならそんな本沢山ありますが、ここまで公然と政治的共同体としての「日本」を無視して戦前と同じような<日本>を復活させようとする本はそうそうありません。更にこの本は「マンガ」という技術を用いて自らの<日本>を復活させようとする主張を効果的に読者に与えている訳で、もしこの本が人々に影響を与えることを容認する(つまりこの本の内容に対し何も主張しない)ならば、それはつまり政治的共同体としての「日本」を放棄することと同義でしょう。だから僕はこの『マンガ嫌韓流』を批判するのです。つまり、「韓国」の為というよりは、政治的共同体としての「日本」を守る為なのです。

脱・マンガ嫌韓流を読む前に

この特集は『マンガ嫌韓流』を批判するという性質上、彼らがごっちゃにして論じてる歴史的問題だったり、法・政治的問題だったり、文化的問題を同じ特集の中で論じます。一応僕は出来るだけこれらの問題を一つ一つ分離して話し、さらに文中で適宜問題の切り離しを明言したりしますが、しかしそもそもこれらの全く違う性質の違う問題(どうして「文化問題」と「政治問題」を同じ次元で扱えると思うのか!?)を同じ「嫌韓流」という一つの運動に収拾させること自体全くおかしいということにあらかじめ注意しておいて欲しいです。確かにプロパガンダ技術としては様々な次元の違う問題を一緒くたにまとめて「○○のせいだ!」と言うことは常套手段(ナチスもユダヤ人の芸術・職業・宗教を一緒くたにして「ユダヤ人が諸悪の根元である!」と批判しました)なんですが、しかしもしそのようなプロパガンダに惑わされたくないのでしたら、是非自分の中でも今読んでいる文章がどの問題に属することなのか、そしてその問題に対してはどのような方法で対処すべきなのかを、自分で考えていただけると良いでしょう。

[脱・マンガ嫌韓流][歴史問題]朝鮮植民地支配について

この記事は脱・マンガ嫌韓流という特集の一つです

それではまず最初に歴史問題に対する記述の正誤(*7)から検証していきましょう。『マンガ嫌韓流』では韓国併合に関しては次の様な立場をとっています。

まぁ、自称自由主義史観のセオリー通りの答えって所でしょうかねぇ。

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韓国併合について

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↑のような説明で『マンガ嫌韓流』は「韓国併合は合法だった」と主張します。ちなみに上のコマは韓国併合説明の時のページよりで、下のコマは賠償問題に関するページからです。

まず上のコマで女性が国際法上の手続きを遵守して世界が認めた上で併合したと言いましたが、しかし世界が認めたといってもその世界は当時国際法を無視して植民地開発を進めていた西欧諸国同士な訳で、無法者同士が「俺たちは法律を守っているぜ!」とか言ってもそれは当然正当性を持たないでしょう。実際韓国併合はどのように進められたのか?これをきちんと解明しない限り合法か否かは判断できません。

まず併合の第一歩として日本がしたことは不平等条約による強制開国です。江華島条約(日朝修好条規)により近代における日本と朝鮮の関係が始まる訳です。そしてその後朝鮮内部において朝鮮をこのまま清の影響下におくか、朝鮮を清から独立させることによって清の影響力を排除し、日本が干渉できる様にするかを巡る争い、つまり簡単に言えば清と日本による朝鮮の取り合いが始まり、そして日清戦争へとなり、朝鮮は独立する訳です。ここら辺においては『マンガ嫌韓流』の歴史認識はそれほどおかしくないでしょう(もっとも、韓国が本当に独立国となることを望んでいたのか、また、独立国となったことが本当に良かったかは大いに疑問の余地があるが)。

しかしおかしくなるのはここからです。『マンガ嫌韓流』は韓国保護国化→併合を次の様な説明でもって「ロシアから日本を守る為には仕方がなかった」と説明します。

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つまり、「日本が韓国を独立国にしてやったのに、韓国はその恩も忘れてロシアにすり寄ったんだ。だから日本はロシアの脅威を無くす為に仕方なく日露戦争を起こして韓国を保護国化し、そして併合したんだ」と、そう言う訳です。

しかしこれはとても大きな事実を見落とし、ないし故意に隠蔽しています。まず第一に、「韓国がロシアにすり寄ったんだ!」と言いますが、しかしそもそもその原因の種は日本にあったんです。日清戦争後、朝鮮は独立へと向かう訳ですが、しかしそれに対し危機感を持つ国がありました。日本です。前にも言いましたが、日本は別に本気で韓国を独立させようと思っていたわけではなく、ただ朝鮮から清の影響を取り除く為に独立させたんですね。ですから、朝鮮が本当に自分たちで政治を行うことは許せなかった。そこで日本は何をしたか?クーデターです。民間の日本人を使って大院を擁したクーデターを起こさせ、閔妃や内大臣を殺害したのです。しかしこのようなことを国民が許す訳がありません。だってそうでしょう?他国が自分の国で勢力拡大を計る為にクーデターを起こし、しかも王族を殺害するのを、一体どこの国民が黙って指をくわえて見ていると言うのか?当然国民の間で急激に反日感情は高まり、また政府もそれに押される形で親露政策を取り始めるのです。自らの国の王族を殺した国に付くぐらいなら、ロシアに付こうというのは極めて当たり前のことです。

そしてその後日露戦争になっていく訳ですが、しかしここでもまた重大な事実の見落としがあります。実は日露戦争当時韓国は中立宣言を出しているんですよね。これは日清戦争の時の中立宣言とは違ってロシアと日本どちらにも出していますから効力はあります。しかし日本はこれを無視(当たり前ですがこれは国際法違反です)、ソウルを占領し軍の圧力を背景に無理矢理保護国化に乗り出します。具体的に言うと、韓国の財政・外交の主権を日本が奪う第一次日韓協約を1904年に締結、そして翌年第二次日韓協約によって統監を設置し韓国外交・内政を掌握、完全に保護国化します。

しかしこの第二次日韓協約の締結は多分に問題があるものでした。当然韓国の政府はこのような保護国化には反対ですから、締結には同意しません。すると日本はどうしたか?何と宮中に銃剣を持った兵を配備し、特派大使伊藤博文が、一人一人にこの条約を締結するか設問したのです。しかしそのような厳しい条件でもノーを言った人間が居ました。総理大臣のハン・キュソルです。しかしその人は無理矢理別室に連れて行かれ軟禁されました。その時伊藤博文は「余り駄々を捏ねるようだったら殺ってしまえ」と、他の韓国の大臣に聞こえる様に大声で言いました。

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『マンガ嫌韓流』では↑の様なことを言っていますが、しかし伊藤博文は上記のやり取りを見れば分かるとおり保護国化には大賛成だった訳です。韓国にとっては保護国化も併合も全く同じ意味であり、どちらも大変屈辱的なことなわけで、そんな保護国化に賛成する様な人間を殺した安重根はやっぱり英雄なんですね。

さて、このような脅迫によって締結された条約は、当たり前ですが当時においても国際法違反です。つまり、韓国併合には国際法に違反した行為が二つあるのです。そして更に、当時日本は日英同盟というものをイギリスと結んでいましたが、日英同盟は韓国における日本の「行動の自由」は認めていませんでしたので、日本が韓国を保護国化することに対しても批判的であり、国際的な承認とやらも本当は得ていなかったのです。

また、『マンガ嫌韓流』では「一進会は韓国併合に賛成していた。韓国併合は韓国が望んでいたことなのだ!」ということを言いますが↓

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その一進会の創設時から居た顧問には日本人の右翼であり、伊藤博文に随行した内田良平が居たのです。まぁ彼と一進会に関してはその後悲しいエピソード(*8)も色々ありますが、それは後で話すとして、とりあえず今は「一進会には日本人の右翼が顧問として多大な影響力を握っていたのだから、彼らを持って『韓国の民意』とするのは無理がある」ということを理解していただきたいと思います。大体、日本が改革派を支援することは分かりますが、何故それが韓国併合へと繋がるのか?何故日本は韓国の改革派に対し、彼らが独立したまま改革を行える様提案できなかったのか?そこが説明されない限り、幾ら韓国側の事を言ったって、(韓国併合には)何の説得力もありません。

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そして、さらに↑のコマで「日本が頑張っていた間韓国は何もしなかった」と言いますが、しかし国王への権限集中を行う光武改革、さらに1899年には大韓国国制という朝鮮最初の憲法が作られます。「韓国が何もしなかった」などというのは明らかに事実誤認です。韓国は努力をしていたが、ある国によってその努力を台無しにされ、植民地にされたのです。そしてそのある国とは西欧諸国ではありません。「大日本帝国」の事なのです!

最後に、「日本をロシアの脅威から守る為に韓国を併合した」ということについて検証してみましょう。成る程、確かに日露戦争以前はロシアの脅威は厳然としてありました。しかし日露戦争以降はどうだったか?ロシアは全く満州・韓国に侵入する気配は見せなかったのですね。にも関わらず日本は韓国を保護国化し、そして満州へ進出していく訳です。

もちろんこれに対し「日本が韓国を保護国化し満州へ進出したからロシアは進出できなかったのだ」という意見もあるでしょう。しかしそもそもロシアでは革命が起こっていたのであって、ロシアが再び対外戦争に討って出れる程国力がまだあったとは思えないのですが、しかし百歩譲ってロシアに満州進出の意図があったとするならば、日本はだからこそ韓国の独立を維持し、中国の近代化を側面から支援して、韓国・中国と対等な立場において協同関係を結ぶべきだったと言えるでしょう。断じて侵略などはするべきでは無かったのです。

しかし日本は韓国を併合し、満州へ様々な事変によって侵略を進めていく訳です。これは一体何故か?そこには、自国の生存以外の動機、つまり西欧諸国と同じようにアジアに植民地を持ちたいという欲望がありありと見えます。

というか、例えそのような意図があったにせよ無かったにせよ、韓国を併合したらそのような道に進みざるをえなくなるのは明らかです。例えば日清戦争以前の政府は「朝鮮は日本の生命線」と言っていましたが、しかし日清戦争後は「満州は日本の生命線」へと変わりました。これは当然のことです。一旦侵略によって他国の土地を自国の勢力下においたとしたとしても、それは正当性があるものではありませんから、当然その勢力下の他国と勢力外の他国との境界において緊張が起こります。そして、その緊張はまた新たな侵略戦争を生みだし、際限のない領土拡張へと日本を引きずり込んでいくのです。内村鑑三のこの文はまさに正鵠を得ていたのです。

日清戦争は日露戦争を生みました。日露戦争はまた何(ど)んな戦争を生むかわかりません。戦争によって兵備は少しも減じられません。否、戦争が終わるごとに軍備はますます拡張されます。戦争は戦争のために戦われるのでありまして、平和のための戦争などとは、かつて一回もあったことはありません。日清戦争はその名は東洋平和のためでありました。しかるにこの戦争はさらに大なる日露戦争を生みました。日露戦争もまたその名は東洋平和のためでありました。しかし、これまたさらにさらに大なる東洋平和のための戦争を生むであろうと思います。戦争は飽き足らざる野獣であります。彼は人間の血を飲めば飲むほど、さらに多く飲まんと欲するものであります。そうして国家はかかる野獣を養のうて、年に月にその生き血を飲まれつつあるのであります。愚極とは実にこの事ではありませんか。

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この様な戦争の連鎖から抜け出る方法はただ一つです。日本は韓国を含めた全ての植民地を放棄し、小国主義を貫くべきだったのです。つまり、領土拡大をせず、道議に基づいて外交政策を行い、国内の内政を改善し、商工業の発達を目指すのです。このことを自称自由主義史観の人達は「夢物語だ!」と言うかも知れません。しかし道義を無視した結果日本はどうなったかを考えれば、むしろそのまま領土拡張に進んで日本が侵略戦争に勝ち続けられるという考えの方が、実は全くの夢物語だったのです。

植民地支配下の朝鮮について

さて、今まで説明したとおり、日本は国際法に違反する手続きによってアジア侵略の為に韓国を(韓国の人々の望みを無視して)併合したわけですが、では併合した後日本は韓国をどのように支配したのでしょうか?これに対し、まず『マンガ嫌韓流』では次の様なことを言って植民地支配を正当化します。

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つまり、「日本は韓国に様々な近代化のための整備を行った。その結果韓国は豊かになったのだから、韓国は日本に文句言えないはずだ!」と、そう彼らは言う訳です。、そしてそれは韓国の人々も望んでいたことだという風に言うのですね↓

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ですが……はっきり言いましょう。彼らの言っていることは殆ど間違っています。彼らは「韓国が豊かになった」と言い、そしてその根拠に「日本が韓国に残した資産の総額」

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や、韓国の併合前の写真と併合後の写真の比較

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を行います。が、この様な比較は全くの無意味なんですね。もしこの様な資産や建物によって国の豊かさが計れるのならば、例えばフィリピンは首都マニラに高層建築が一杯並んでいるから豊かな国だということになるし(実際は農村部では半数以上が一日1ドル以下の生活をする最貧困層、南部イスラム地域では75パーセント以上が最貧困層の国だ)、ブラジルは首都ブラジリアは想像を絶する程美しい都市だから豊かな国ということになってしまう(実際は国民の60%もの人々が、その所得が国民平均所得の2分の1にも満たない貧困層に属しており、さらには、毎月最低賃金(70ドル程度)の半分以下の収入で生活している極度の貧困者数は、国民の32.1%に相当する5400万人にのぼる国だ)。資産や建物ではその国が本当に豊かかは計れないのです。何故ならそこには貧富の格差の拡大という視点が無いのですから(*9)。

では国の豊かさはどう計れば良いのか?まず最初に重要なのは「国民を飢えさせていないか?」ということです。このことを知る為に、ちょっと当時の朝鮮の米穀産出量と、朝鮮から日本への米穀輸出量、さらに人口一人あたりの米穀を表にして、さらにそれをグラフにしてみます(なおこのデータは、『isbn:4750304948:title』のデータを引用した『isbn:4022607246:title』からの孫引きです。っていうかこの章は殆ど『isbn:4022607246:title』の内容をそのまま『マンガ嫌韓流』に適用しているだけであって、お金があるか暇があるなら僕のこんな分かりにくい文読むより『isbn:4022607246:title』を読んだ方がずっと良い気がします)。

年度産出量(千石)対日輸出量(千石)朝鮮内人口一人あたりの米穀消費量(石)
1912~1916平均1230313090.7188
1917~1921平均1410124430.6860
1922~1926平均1450143750.5871
1927~1931平均1579866160.4964
1932~1936平均1700287350.4017

rir6の産出量とrir6の対日輸出量とrir6の朝鮮内人口一人当

(朝鮮内人口一人あたりの米穀消費量は万倍してます。)

成る程、確かに朝鮮における米の産出量は増えています。これはまさに『マンガ嫌韓流』の指す近代化の成果と言っても差し支えは無いでしょう。しかし!その量の増大より遙かに急激に増大している線があります。対日輸出量、つまり朝鮮から日本に輸入される米の量です。そしてその結果朝鮮内人口一人あたりの米穀消費量は、近代化が進行するに連れてむしろ減少しているのです。日本へ米を輸出する為に朝鮮内国民一人当たりの米穀消費量が減少する。これを搾取と呼ばないで一体何と呼ぶのか!?『マンガ嫌韓流』には是非教えて貰いたいものです。

さらに!この1932~1936年には0.4017石(ちなみに戦前日本本国では米の消費量は「一人一石と言われていた)となった一人当たりの米の消費量の平均ですが、これだけの量すら食べられるのはごく少数の人間だけです。何故か?当時の朝鮮は全農家戸数の3.3%(戸数にすると90386戸、なおこの中には日本人も含まれる)が全農地の半分以上を所有し、そして37.6%(戸数にして100万戸、人数にすれば5万人)が全く土地を持たない小作農、次に少し土地を持っている自作兼小作農が39.3%、この二つを合わせて77%が五割~七割の小作料を取られていたのです。しかも当時全ての農民の作地面積(つまり、農民が実際に耕している土地)の平均は1.61ヘクタールでしたが、その内1ヘクタール未満の作地面積の零細農家が全農家の66.9%を占めているのです。つまり、大部分の農家が1ヘクタール未満の作地面積で、しかも五割~七割の小作料を取られる、そんな状況だったのです。ですから、この様な人は0.4017石でさえとても手が届く様な量でなく、1930年には春窮農民、つまり春(二月~四月)には食べるお米がさえ無くなってしまう農民が全農民の48.3%を占める様になりました。彼らの窮状を当時の総督府系新聞社(*10)京城日報社は1940年度版の朝鮮年鑑にこう書いているそうです(例によって『isbn:4022607246:title』より孫引き)。

農家、特に小作農の中には、秋の収穫期に小作料と借用食料および債務利子を支払えば、あとには稲を脱穀した台と籾を入れていたバガシ(一種のひょうたん)しか残らないという、惨憺たる状態にあるものも少なくない。それゆえ、こうした農民は、地主から来年の収穫を担保として食糧を借りるのが常となっている。これを農糧と呼ぶ。農糧にも高率の利子が付き、かくして農糧と債務に悩まされ、自ら食糧を生産しながら、自身はこれを食べることが出来ず、端境期になると、もっぱら草根木皮で生命をながらえることが多い。

そして更にそのような農民の中からは農業で食べることが出来なくなり、夜逃げ同然で山(国有林)に入って焼畑農業をする火田民という人が出てきたり(当然捕まれば罪となる)、都市に出てきてスラムを形成する土幕民という人が出てきたりする。土幕民みたいな人は人口が増え、このような農民の大部分が零細小作民である限り増え続けますから、都市労働者は極端な低賃金・劣悪な労働環境に甘んじ続けなければならなくなる……これが先のコマで『マンガ嫌韓流』が誇った人口増加の実態なのです!

さらにそのような食うことが出来なくなった人の一部は、しょうがなく生まれ故郷を捨てて日本に渡ってくる訳で、この様な人達が在日韓国人・朝鮮人の源流です。

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『マンガ嫌韓流』ではこの様に彼ら在日韓国人・朝鮮人を(悪意を持って)劣悪に描きますが、しかし彼らがそのような食ってさえいけない貧困層になったのは、例え強制連行によるものでないとしても、まさに日本の植民地支配によるものなのです!

しかし何故全農家戸数の3.3%(戸数にすると90386戸、なおこの中には日本人も含まれる)が全農地の半分以上であり、77%が五割~七割の小作料を取られ1ヘクタール未満の作地面積の零細農家が全農家の66.9%を占める様ないびつな構造が出来上がってしまったのでしょうか?その裏には、韓国を併合した際に日本が行った、土地調査事業が大きく関係してきます。

この施策はまさに近代化の為に実施したもので、近代以前にはそもそも土地の所有権などということはそんなに問題にされませんでしたが、近代になって国家がきちんと中央集権的に税金を徴収したりするようになると、どうしても土地の所有権を明確にする必要があります。その為何処の土地は誰が持っているのか、そういうことをきちんと調査する必要があったのですね。まぁ、ですから土地を調査することそれ自体は良いのですが、しかし問題はそのやり方です。日本は土地を調査するに際して申告主義を原則にしました。これはつまり何処の土地が誰の所有物なのかということを、その土地の持ち主の自己申告によって明らかにしていこうとするやり方です。その結果どうなったか?ご存じの通り、当時朝鮮では大部分の農民が文盲でした。ですから申告のやり方が良く分からないし、そもそもニュースを知ることが出来ないからそういう申告を行わなければならないということすら知らなかった農民も多かったのです。その結果、ごく一部の文字を理解できる富裕層の人々が大部分の土地を自分の物だとして申告し、先ほど述べた様ないびつな構造が出来てしまったのです。

これがもし朝鮮人民による自主的な近代化だったならば、そもそも既存の政府体系を利用することが出来ますから、そんな申告制度みたいなやり方を使わずとも土地調査は可能だったし、仮に申告制度を使ったとしても、それが行われるのは朝鮮の人々に教育が行き届いた後になり、結果このようないびつな構造は出来上がらなかったのです。所が日本のアジア侵略という目的の橋頭堡の為に朝鮮は日本に併合されてしまった為に、朝鮮のことをろくに知らない日本人によって、ごく少数の農民が大部分の農地を所有するといういびつな構造が出来上がったのです。もっとも日本の総督府はそれを望んでいた節さえありますが……

植民地内に現地人の特権階級を作り、そしてその特権階級を操って植民地から効果的に搾取するというのは日本・欧米問わず植民地支配国の常套手段です。(奴隷貿易と植民地支配よりイギリスの間接統治では、部族の伝統的支配層を温存し、彼らの組織を利用して、植民地政策を推し進めた。日本の植民地支配は、まさにイギリス式だったと言えよう">*11)そしてその為には近代化がとても有効でした。『マンガ嫌韓流』では自らの国(*12)が近代化によって豊かになったことを理由に、全ての国においては近代化は国を豊かにすると思いこんでいるようですが、しかし自らの手によって為された近代化と他国の侵略者の手によって為された近代化では、その本質は全く違います。自らの手によって為された近代化は確かに国を幸福にしますが、他国の侵略者の手によって行われた近代化は、むしろその侵略者が植民地を効果的に搾取する構造を作るという意味において、国を貧しくするのです。この様な近代化はその近代化される国家にとっては悪夢以外の何物でもありません。そして韓国の近代化は、(日本の手によって)前者では無く、後者の―不幸な方の―近代化になったのです……

また、国の豊かさを計る他の基準としては「基本的人権が保証されていたか?」ということがありますが、これについても、例えば併合前までは沢山あった新聞・雑誌などは韓国併合と同時に全て廃刊され、日本語版・朝鮮語版・英語版の三つの御用新聞だけにしましたし、また集会・結社の自由も許されていませんでした(もちろんその頃日本では色々な新聞・雑誌があったし、また集会・結社の自由も治安維持法が出来るまでは一定の範囲で保証されていた)。このような言論・出版・結社・集会の自由は1919年の三・一運動後一定の留保の内に認められますが、1940年に再び剥奪されます。この点から言っても、日本の植民地支配のやり方は韓国に不幸をもたらしたと断言出来るでしょう。。

では、次に、「韓国では日本は差別を無くそうと努力していたし、皇民化政策もその為の政策の一つだった。」という主張について検証してみましょう。

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では実際日本は韓国においてどのような施策を取っていたのでしょうか?まず1945年3月(終戦5ヶ月前)まで参政権は朝鮮半島においては全くありませんでした。確かに北海道・本州・四国・九州などの日本本土に行けば朝鮮人でも参政権を得ることが出来ました(*13)が、しかし朝鮮半島においては参政権は全く保証されなかった。当時の日本は小選挙区制なり道府県単位にしたを大選挙区制なりを採用していましたが、しかし韓国にはそもそも選挙区自体が無かったのですね。また、移住の自由も全く認められませんでしたし、これは後々「慰安婦問題」に関して語るときも出てくるので詳説はしませんが、日本は「婦女売買に関する条約」に批准したとき、朝鮮・台湾を植民地として、その適用を除外すると言ったのです。しかしその一方で例えば納税の義務は朝鮮人にもあったし、もし納税を拒否したりするなどの違法行為を行えば裁判に掛けられて刑に処せられていたのです。

この様な事実は一体何を示すのか?それは日本が都合の良いときだけ朝鮮人を日本人として扱い、そして都合が悪くなると「朝鮮戸籍」として差別したという事実です。彼らは言います。「韓国人はこの様な要職に就いていたのだから差別など無かった」と。

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ですがそもそも何で朝鮮においては朝鮮人が殆どを占めていたのに、四割とか六割なのか(日本国内においては朝鮮人の国会議員はごく少数だったし、朝鮮人の知事などは存在しなかった)分からないですし、またこのような官僚に朝鮮人がなったとしても(その様な職に現地人を付ける理由は先ほど説明しましたね)、その官僚に命令をする議会・内閣には殆ど韓国人は居なかったのですから、結局政策は内地の日本人の為の物にならざるをえません。幾ら執行機関に朝鮮人がなったとしても、その上位である議会・内閣に自らの代表が無い限り、差別は存在していると言わざるを得ません。

さらに、『マンガ嫌韓流』では改名は強制では無かったと言いますが

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しかし創氏改名というのは表面的な改名よりも、むしろその奥にある朝鮮の族譜制度を日本の家制度に改変させようとしたことから論ずるべきことなのです。朝鮮というのは儒教に基づいた家族制度を取っており、人は家ではなく父系血統から受け継がれる「」に属するものなんですね。だから例え違う名字の人が結婚しても、妻が夫と同じ姓に改称するとかそういうことは無かった。ところが創氏改名によって妻は必ず夫と同じ姓に改称しなきゃならなくなったのです。そしてこれは強制でした。創氏改名が問題となるのはこの点からなのであって、それ故に「改名しなかった朝鮮人だって居るんだよ」と言ってもそれは全く何の意味も無いのです。

さらに言えば、『マンガ嫌韓流』では皇民化政策を創氏改名からしか論じませんが、むしろ皇民化政策を考えるときに最も問題とされるべきなのは、教育の場なのです。1937年から教育の場で「皇国臣民の誓い」(↓)というものを唱える様にされ

  1. 私共ハ大日本帝国ノ臣民デアリマス
  2. 私共ハ心ヲ合ワセテ天皇陛下ニ忠義ヲ尽シマス
  3. 私共ハ忍苦鍛錬シ立派ナ強イ国民トナリマス

そして人々に神社参拝を強制し、200余りの教会を閉鎖、2000人余りが検挙、50名余りが獄死しました。もちろんこれらのことは例え日本本国でやっても非難されるべきもの(しかし皇国臣民の誓いなどは内地の日本人は唱えなくてもよかったし、神社参拝の強制は日本では余りなかった)ですが、特に参政権も無かった韓国に於いてはそのような政策を変えることが全く出来ないのですからより一層極悪なのです。

そして更に重要なのがハングルの禁止です。『マンガ嫌韓流』では「日本がハングルを普及させたんだ!」と言い、その根拠として日本が学校教育を普及させたこと、そして併合後の学校教育がハングルを必修科目としたことを挙げます。

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しかしその実態はどうだったか?まず、『マンガ嫌韓流』では「当時100校にも満たなかった公立の小学校を終戦までに5000校に増やした」と言います。成る程、確かに併合当時公立の学校は81校でした。しかし、彼らは重要なことを見落とし、もしくは故意に隠蔽しています。それは当時私立の学校は2250校もあったということです。これは日本の侵略に対抗する為に始まった愛国啓蒙運動の一環としての教育救国運動によって作られたものなのですが、この数は5000校という数に対し45%、ほぼ半分に当たります。併合当時でだけこれだけあったのですから、それから40年経った終戦時にはもっと増えているでしょう。ですから、日本が遅れている朝鮮半島に近代教育を普及させたという、『マンガ嫌韓流』が盲信している図式は全く正しくありません。むしろ朝鮮人が独自にやっていた民族教育の普及をに恐れをなした日本が、朝鮮人のやり方を模倣したと言った方が正しいのです。

更に、『マンガ嫌韓流』では学校数の増加を誇りますが、しかし実際はそれらは殆ど初等教育、つまり小学校であり、中学校以上は殆ど作られなかったのです。例えば朝鮮には全羅南道という地方がありまして、ここの人口は1930年当時200万人という大変に大きな地方だったのですが、この巨大な地方に中等教育の為の学校はわずか七校しかありませんでした。なお当時日本では中等教育は4割の就学率でした。この様な政策を愚民化政策と呼ばずして一体何と呼ぶのか?

さて、ハングルの話に戻りましょう。当時確かにハングルは必修科目とされていました。しかしその履修時間は学年が上がる毎にどんどん少なくなっていきます。小学校1~2年では週5時間でしたが、5~6年になると週たった2時間です。つまりハングルに関しては日常用語に不自由しない程度しか教えなかったのです。これに対し日本語は一貫して週9~12時間教え、しかも他の教科の履修も全て日本語でした。これがもし内地の教育カリキュラムだったならまさに日鮮一体であるという風に納得がいきますが、しかしこれはあくまで朝鮮半島での教育カリキュラムです。朝鮮半島では韓国併合まで日本語など全く使われてきませんでした。全く使われていなかった言語を無理矢理履修させたのです。これを見てもまだあなた方は「日本はハングル普及に努力したんだ!」などと妄言を言う気ですか?

さらに、このようなごく僅かのハングル教育も1938年に皇民化政策の一貫として必修から外され、さらに行政指導によって出来るだけ教えない様に圧力を掛けます。そしてその為に立場が日本人校長と比べ弱かった朝鮮人校長は、やむなくハングル教育を廃止します。『マンガ嫌韓流』ではこのことを「悲しき笑い話」だなどと表現しますが

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しかし自らの職を守る為とはいえ、朝鮮語の教育を廃止せざるをえなかった彼ら朝鮮人校長の心の内を少しでも想像すれば、このことは悲劇以外の何物とも言えないはずです!

また、先のコマでは日本が朝鮮語の辞典を作ったなどと言ってますが、しかしこれは古い正書法で書かれているだけでなく,語彙が貧弱でほとんど使い物にならなかったものでした。その為朝鮮語学会というものが作られ、朝鮮語辞典編纂のための原稿カードを作っていました。しかし1942年、日本警察は朝鮮語学会事務所を急襲し、原稿カードを全て没収、33名の学者を検挙し、二人が獄死、そして8名に有罪判決が出ます。なお、これに対し日本は「彼らは学術団体を偽装した独立団体だった」と説明し、そして―頭が痛いことに―今も日本にはその説明を信じている馬鹿が居ます。が、それが彼らを治安維持法で拘束する為の口実に過ぎなかったことは明らかです。何故なら彼らの残した原稿カードは終戦後ソウル駅の倉庫で発見され、そして十年の歳月を掛け、1957年、『朝鮮語大辞典』(*14)となって実を結ぶからです。もし彼らが偽装団体であったとしたら、原稿カードなどは当然存在しない、もしくは全く使い物にならないものだったでしょう。しかし実際は、彼ら朝鮮語学会が残した原稿カードは辞書の編纂に使われ(もしかして嫌韓さん達は、それすら朝鮮語学会は予想していたとでも妄想するつもりかしら?)、そしてその『朝鮮語大辞典』は南北朝鮮全ての辞書の基礎となったのです。つまり、日本の総督府の『朝鮮語辞典』はハングル普及には殆ど貢献しなかったということです。

そして更に1944年、ある朝鮮人詩人が、投獄され、そして半年後獄死します。その詩人の名は尹東柱、彼もまた名目上は「治安維持法違反」、つまり独立運動を行ったということでした。しかし彼の場合それはある意味で日本の皇民化政策の正体を如実に示します。確かに彼は独立運動を行ったということで裁かれるのですが、しかしその「独立運動」し具体的に何だったかというと、「ハングルを使って詩を書いた」、ただそれだけなのです。成る程確かにその行為を行った動機は独立のためだったかもしれません。しかし実際にしたことは、別にデモを起こした訳でもなく独立の為の武装勢力に入ったり援助をしたのではなく、ただ「ハングルを使って詩を書いた」、それだけです。こことは何を示すか?それはつまり、日本が「ハングルを使うこと」を独立運動=違法行為として捉えていたということです。まあ実際、それは事実だったのでしょう。ハングルを使うということ、それは朝鮮民族の言語を取り戻すことであり、そしてそれは日本の―朝鮮半島の人々を奴隷化するという―占領政策と真っ向から対立するものだったのですから……

皇民化政策は決して差別を無くすものではありませんでした。何度も言いますが、議会・内閣に自らの代表が無い限り、差別はどうやったって存在し続けるのです。皇民化政策の目的は決して朝鮮人に内地の日本人と同じ権利を与える(=差別を無くす)ことではなく、朝鮮人を国家の為に動員出来る様改造するということだったのです。

当然そのような支配に対し人々は抵抗します。しかし『マンガ嫌韓流』ではその様な抵抗運動に対し次の様な暴言を吐きますが

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僕はこのコマに出ている馬鹿女と観客全て一人ずつぶん殴りたい気持ちで一杯です。例え改革派のことを言っているとしても、彼らが望んでいたのは独立への援助であり、併合では決してなかったのです。にも関わらず日本政府はその願いを無視して併合した。だから韓国の人々は自分の手で独立を勝ち取ろうと頑張ったのに……『マンガ嫌韓流』は併合後しばらく言いますが、これは全く違います。その証拠に三・一独立運動は保護国化から15年も経っているのです。またこれは改革派・守旧派の垣根を越えた全国的な運動(というか改革派・守旧派の垣根は日清戦争後からすでに殆ど無かったんだけど)であり、集会回数1542回、参加者数は日本警察の発表用の統計(*15)で49万4900人、上海臨時政府側の統計では202万3098人にもなる全国的な運動となったわけです。そしてその中で、堤岩理事件のような悲劇も起きた。堤岩理という村で29人のキリスト教徒を虐殺し、村全体を証拠隠滅の為に焼き払ったのです。

更に三・一運動前後も色々な運動がありました。反日義兵運動、愛国啓蒙運動、六・一〇万歳運動、光州学生運動、赤色労組運動……結局、日本の朝鮮植民地支配は最初から最後まで民衆の支持を得ることなど出来なかったのです。

最後に先ほど紹介した尹東柱の詩を紹介して記事を終わりにします。この詩には政治的な言葉は何一つ含まれていません。ですが、この様な詩を書くことが「治安維持法違反」とされるような状況が、かつて朝鮮半島にはあったのです。そのことを忘れて自国の良かった面ばかり言うのが「正しい歴史観」と言うのならば、僕は進んで間違った歴史観を選びます

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序詩

 この世を去る日まで空を仰ぎ見て

 一点の恥もなきことを

 木の葉を揺らす風にも

 わたしの心は痛んだ

 星をうたう心で

 すべての逝くものたちを愛さなくては

 そしてわたしに与えられてた道を

 歩まなければ

 今宵も星が風に吹かれた  

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次回は「強制連行」や「従軍慰安婦」、「戦後補償」などについて『マンガ嫌韓流』の記述を検証していきます。全ての記述を検証し終わるのがいつになるのか分かりませんが(夏休み終わる前にはやりとげたいなー)、絶対に途中で諦めることはありませんですので、皆様には辛抱強く待って頂ければと思います。


*1: 実際この本は、特集で順次説明していきますが、事実確認から事実を認識する理論においてまで不当な批判ばかりの本なんだけど

*2: そもそもあれだけ多様な文化が「日本」なんて一カテゴリーに属すなんて全く妥当性が無い話だと僕は思うのだが

*3: 「国益」ばっか叫んで憲法すら「国益」のためにあると考えている輩はまさに日本を「単なる利益集団」としてしか見てないんです

*4: ここら辺のことに対して興味を持ってくれる人は是非思想カテゴリの記事を読んでご意見下さい

*5: 利益調整では無いことに注意。対話というのは他者と自己が共に豊かになれる道を探すという訳で、力を持っていればそれだけ多く自己の利益を求められる利益調整とは全く違う。故に、(この後述べますが)対話は過去の批判的消化を必要とするのです

*6: =自然状態

*7: 殆ど誤だけど

*8: ま、自業自得と言えば自業自得なんだけど

*9: マルクスでも学べば良いのに:-p

*10: つまり総督府に都合の悪いことは殆ど書かないということ

*11: 奴隷貿易と植民地支配よりイギリスの間接統治では、部族の伝統的支配層を温存し、彼らの組織を利用して、植民地政策を推し進めた。日本の植民地支配は、まさにイギリス式だったと言えよう

*12: =日本

*13: これに関しては詳しくは「永住外国人参政権問題」について話すときに説明します

*14: 日本の角川書店が発行したものではありません

*15: 当時日本政府は三・一独立運動に対し今回の事件は内外に対し極めて軽微なる問題となすを必要とす、然れ共実際に於て厳重なる処置を取りて再び発生せざる事を期せよ、つまり日本国内や外国に対しては大したこと無いことだと言い、実際はとても危険だから厳重に取り締まれということです。そして実際、その作戦は今になっても効力を保ち、未だに「独立運動なんてそんな大したものじゃなかった」という様な嫌韓馬鹿が存在する訳です