記事書いて、人傷つけて、自分傷ついて、嫌になったら内に籠もって、そしたら自分が無くなって、寝て、また全てを忘れる。繰り返す事に何の意味が分からず、ただそれ以外に“すべき事”が無いからそれをする。
その中で人を傷つけた誰かさんは落ちぶれて、また他の人を傷つけた誰かさんは浮き上がって偉くなって(*1)、でもその人もまたいつか落ち込んでいく。「面白い」という賞賛とその背後に存在する「つまらない」という侮蔑。「お前はこんなことやって偉いなぁ」の裏にある「お前こんなことやったら駄目だろ!」。
そんな世界が嫌になって、うんざりして、ほとほと愛想が尽きて、彼・彼女はセカイに逃げ込んだのだろう。誰も傷つかない、誰も傷つけない、井の中に居る事によって得られる安寧、みんなトモダチ。みんなナカマ。楽しい事だけ数珠繋ぎにしていくのだ。
「外の世界」に飛び込めと怒る人が居る(*2)。でも「外の世界」に一体何があるというのか?ヒトが生きるためにヒトを傷つける世界、それが「外の世界」だ。そこに飛び込んで一体何が生み出されると言うの?
(「外の世界」に飛び込めと言う人は人を傷つける人。中に籠もる人は人を傷つけない人。例えどんなに理屈をこねくり回したって、この事実は変わらない。)
でも世の中には人を傷つけたい(=傷つけられたい)人が居るのだ。死を心の中に内包しなければ生を生きられない人。それは僕であり、彼であり、君なのだろう。だから僕らは記事を書き、人を傷つけ、代わりに傷つけられるのだ。
でも、だからといって何でそれが「正義」だと言えるのか?分からない。
たった30分で書いた記事(↑)のブックマーク数が、今まで書いてきた記事のベスト5に入るんだから、本当にやる気なくなっちゃうよなぁ……
僕としては上の失敗作を見るよりは、
を見た方がずっと分かりやすいし、「死を心の中に内包しなければ生を生きられない」というのも
で散々説明してきたことであってさ、何も革新性はない……何でこんな過去の記事をただ切り張りしたような記事がこんなにブックマークされるのか、何か怒りすら感じてしまうよ。。。