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2005-11-13


[失敗作]mulititudeの対極はsolitude(孤独)

(タイトルの事実はid:solar:20051112:p1で知った。何となく文とあってる気がしてタイトルにしたけど、多分全く文とは関係ない。)

http://d.hatena.ne.jp/antiECO/20051112/1131805396

だって怖いと感じたんだもの。id:antiECO氏が本当に怒ってるかどうかは知らないけど、少なくとも僕はこの文章から「暴動を起こす人」と「それを擁護する人」への怒りを感じて、そして僕はどちらかといえばid:antiECO氏よりも「暴動を起こす人」へシンパシーを感じたので怖かった。ただそれだけの事です。ポジティブかネガティブかの評価で言ったらネガティブですが、そんに感情的な評価別に気にする必要無いでしょ、あなたは(多分)正しいんだから。

フランス政府はきっと移民に対してきちんと公的補助をしてるんであって、それにも関わらず暴動を起こしている連中はあなたの言うように贅沢で、努力しないくせに何かを欲しがって怒られた事がないから社会に甘えてばっかで、まさにクズ悪ガキなんでしょう。そしてそれに対して高額な税金を忍耐強く払い続ける一般フランス庶民は本当に正しくて、彼らに更に何か求めるなんて事は絶対してはいけない。それらのメッセージはきっと全部正当な話なんでしょう。だからそのような意見に合致するような報道をしないマスメディアは馬鹿ばかり。

でも、僕はそれでも―というより、だからこそ―暴動を起こす側に味方してしまうんです。何故か?まず第一に、id:antiECO氏が言う暴動を起こす側の形容が、殆ど僕に当てはまるから。そして、だからこそ僕は、彼らの心情、特にこのような「正しい言論」を見た時の心情を想像するからなんだな(このような作業は、もちろん全く正当性はない)。

全く自分と同じ位置からスタートした人が、自分よりもずっと高い位置にいる。だけど社会システムは人々をみな公平に扱っているのだから、その差は結局自分の努力の差となる。更に言えば対して努力しなかった自分もある程度の生活は出来ている。周りからは常に「お前がおちぶれているのはお前のせいなのだから、周りから助けを得ようとするな」と言われ、「私達はこんなに努力したのに、なんであんな奴らの為に高い税金を払わなきゃならない訳?」とささやかれる。しかし彼はそれに対して反論する事は出来ない。何故ならそれらは全て正しいから。全く公平であって、自分以外に責める相手が誰も居ない状況。

はっきり言って、僕はそんな状況から「よし、こんなに自分が落ちぶれたのは自分が悪いんだから、これからはきちんと努力してもっと上に行くよう目指すぞ!」なんて事は―それこそが正しいのだと分かっていても―絶対に出来ない。僕ならきっとブラウン管の向こうの若者のように、車を燃やすだろう。それが間違っているといくら分かっていても。だってそれしか出来る事は無いのだから。

だから僕はあの暴動を起こす若者に共感・連帯し、彼らを弾劾する言論に対し怯えるのです。(といっても、まぁせいぜいTVに向かって「もっとやれー」とか言うだけなんだけど。)確かに僕らは本当に恵まれた豊かな―少なくとも「貧困層」なんて自称するにはあまりにおごがましい―「持てる者」です。でも、一体僕らは何を持っているというのだろう?確かに僕らは携帯・パソコンを持ち、酒・タバコが飲めて吸えて(*1)、トイレが家の中にある。でも、人間はそれだけで良いのだろうか?もっと別の「何か」が、本当に満足に生きるためには必要なんじゃないのか?

でも、きっとそんな欲求は自分が努力しないことを正当化するための幻想なんでしょう。本当に救いがたい人々なんですね、「僕ら」ってのは。


*1: 僕は全く飲んだり吸ったりしないけど、でもそういうことを行う金銭的余裕はある