何かあそこ(*1)に送ったトラックバックがいつのまにか無くなっていて、お兄ちゃんびっくりだよ。
まぁ、元々全く真面目に書いたつもりも無かった不真面目な記事だから、しょうがないと言えばしょうがないんですけど。大体トラックバックの管理権は向こうにあるんですから、その権利をどんな感じに使おうと、僕の知ったこっちゃない訳で。
しかしあれだなー、そりゃ真面目な文章も書こうと思えば書けるんだけど(*2)、なんでそんなにそのことを真面目に書こうとするのかが、理解できないんだよなぁ。
だって、どうせ結論は決まってる話じゃん。「俺は頭が良い、こいつら馬鹿」で。で、それを書いて、自分は頭が良い側に属すると思う人のブクマやらトラバやら集めて、何か「何でこいつらは馬鹿なのか」とか「こいつらをもうちょっとマシな頭に啓蒙するにはどうすれば良いか」とかを語り合う。流れがヒャクパー決まっちゃってる訳でさ。
別にそういう話をするなとは言わないよ。っていうか、このブログもそんなブログな訳でさ、でも、別にそこまで真面目に語り合う問題でも無くね?
例えば、このエントリももうちょっと真面目に書けば「『真面目に物を語る』ということが出来る言語資本は、ある一定の教育とその教育によって社会的に構築される〈変革への志向〉により得られるものであり、そしてその教育の参加者によってまたその『真面目に物を語る』という言語資本に価値を付与する言説市場が表れるのである」とか、そんな風に書けるよ(*3)。
でも書かない。何故か、面倒臭いから。何故面倒臭いか、そんなの書いて、何か人生に役立つとも思えないから。
でも彼らはそれが人生にとってとても意味のあることなんだろう。
・・・そして、その意味が僕には全く理解できない以上、僕が彼らの行為を理解できないのも、しょうがないひとなのだろうと、一人で納得する。夏の夜。
やっぱり↓のようなモノを読むとむかついて仕方なかったりする。
http://d.hatena.ne.jp/fuku33/20070705/1183635453
もし僕があるシステムの現状維持を望む既得権者で、そこそこ悪知恵が働く人間だったら、システムを変革しようとする勢力を分断しようとするだろう。たとえば、「システムがこのままではいけない!」と思っていそうな潜在的な変革志向者層をなんやかや勧誘してひとまず集め、その前でひときわ非現実的でラディカルで夢想的な変革ヴィジョンをぶち上げる。「システムの現状維持は絶対悪であり、なによりまず革命を目指し、そのためには手段は選ばない、味方でなければみな敵だ!」というような。
そうするとどうなるか。もしかしたらシステムの変革を支持したかもしれない人々の、変革を働きかける行為に対して絶妙に水を差すことになろう。誰もがみなそのシステムにどこか依存していて、だからこそそのシステムの慣性も身に沁みて感じていればこそ、現実に着実にシステムに向き合っていかなければそれを変えることはできまい、という「現実的」な認識の人々に、「とてもこんな夢想的な構想には共鳴できない。」と思わせれば、結果としてこれほどシステムの現状維持派を利する行為はあるまい。
だからそのあんたの言う「現実」に絶望しているから小沢氏が人気を博すんでしょうがぁ。そういう小沢氏の主張する「夢想」に対し、あんたは対案を出せているのか?小沢氏にいかれちゃってる人々を改心させることが出来るのか?出来ない(*4)んだったらあんたに小沢氏を否定する資格はない!「何故生きていていいんですか?」って疑問に「でもあんた生きてんじゃんwww」とくさすような輩(http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/fuku33/20070702/1183371975の「あんたと家族はどうやってご飯代を稼いでるの?と聞いてみたい」を僕なりに正確に翻訳">*5)に、この問題を語る資格なんかないんじゃあ!!!
・・・と、また吹き上がろうと思ったけど辞めた。どうせまたid:Rir6:20070702:1183385302の記事みたいにTrackback蹴られるだろうしね(*6)。僕Rir6は真面目な話をする気なんか更々ないんで、id:sjs7くんにバトンを渡しときます。
というわけでid:sjs7くん、質は正直全く期待しない(というか出来ない)けど、とりあえず「真面目な批判」書いといて>id:sjs7