Rir6アーカイブ

2007-07-19

[観察]↓の本

http://www.shogakukan.co.jp/heiseijohi/

はっきり言って立ち読みするのも恥ずかしいんで、表紙だけの印象を語る。

なんでこの人はこんなに汗をかいてるんだろう?

もちろん、「自分はがんばっている」という表現の為に、汗をかいている表現をするのは、使いどころを間違えなければ良い選択だと思う。でも、一方でそれにはデメリットがあって、要するに「必死だな」という印象を与える、という側面もある。

そして、この本の表紙のよしりんは、かなり「必死だな」という印象を、見るものに与える、そんな絵柄となっている。もっとはっきり言ってしまえば、このよしりん、何かすんげー弱そうなのだ。「反日攻撃を歴史の真実で撃ち払ってくれる!」とか言ってるけど、もし僕がこんな風に戦っている人を見たら、十中八九「あ、こいつは負けるな」と、マンガ・アニメ的想像力から思う。

でも、実はそれこそがよしりんの狙いなのかもしれない。このような「必死だな」というイメージと対照的なのが、例の「マンガ嫌韓流」だ。ここにおいては、主人公は常にCoolな存在(*1)だ。彼らは全く本を読む素振りも見せずに反日の妄言(*2)を否定する。多分、それはプロパガンダとしてはある種完成された形でで、でもそれゆえに、実は彼らのマンガにはマンガ的な面白さは一切ない。

そして、もしかしたらよしりんは、そういうマンガ的な面白さを放棄するプロパガンダに反抗する意思表示(*3)として、わざとああいう「必死さ」を表紙に出しているのかもしれない。

ま、それにしたって、読む気はないけど。

追記

雨宮処凛氏は、なんとかその世渡り上手さ(*4)を生かして、川田龍平氏と小林よしのり氏の対談をセッティングしてくんないかなぁ。だって薬害エイズからもう十年たつんだし、そろそろ、和解とまではいかなくても、ある種の総括はなされても良いんじゃないかと。

あ、でも世渡り上手だから、却ってそういう地雷は踏まないのかな。でも見たいなー。

[うぇぶ]サザエさんたちの学歴・職歴の想像

http://fragments.g.hatena.ne.jp/tomo-moon/20070718/1184755937

結構面白い。

ただ、磯野家の子供たちは、あれで階層は結構上流(世田谷に家持ってんだから)だし、それに文化資本(*5)も結構あるだろうから、意外ともっと高い学歴を得る可能性もあると思う。小学生のころの成績なんか学歴とはほとんど関係ないだろうし。親は結構きちんと学習態度を身に付けさせようとしているからね。ただ、別に上流ではあるけど上流志向はないので、たぶん両親・祖父母は良い大学とかは強制しないだろうから、そこら辺は本人たちがどう意思決定するかによるんだろうけど。でも花沢さんとカツオが結婚というのは、まぁ「マンガ」的に考えればそうだろうけど、実際は幼なじみと結婚するっていうのはこの現代においてはそうそうないでしょ。統計でも幼なじみと結婚する率は0.7%くらいしかないそうだし(ただ、これはあくまで単純集計なので、割と磯野家が保守的な家庭であるという条件を勘案すれば、もっと確率は上がるかもしれないけど)。

波野家については、実際資産(彼ら割と古い、団地型のマンションに住んでいたよね)の問題から、慶応というのはどうなんだろうと、田舎の貧乏人の僕なんかは思うけど、彼らの親(イクラの祖父母)がお金を出してくれればありそう。カツオ・ワカメたちのクラスメイトについては、実は名前を言われても顔が浮かばないのでパス。

あと

サブちゃん 一橋大法→サントリー→三河屋

っていうのが僕はよく分からない。なんでサントリーから酒店?酒店の人って、こういう職歴がメジャーなの?

……となんか偉そうなこと言ってみたけど、実は僕はこういうことはあんまり詳しくないから、結構的外れなことを述べているかもしれません。というか述べてます。あしからず。

[断片]同世代感

思い出したことがあるので、メモしておく。

「ゆとり世代」っていう言葉がある。

でも、実はそうやって幾ら「ゆとり世代」と名指しされても、僕たちは、自分たちの年代が同じ世代の人間だと実感する感覚は、薄いように感じる。

それでも僕なんかは、なんだかんだ言って世代論大好き人間だから、例えば自分と辻・加護が同じであるところから、何かを見出そうとしている(http://enfant-terrible.g.hatena.ne.jp/に入って僕の日記を読むと良いんじゃないでしょうか">*6)んだけど、でもやっぱり周りの人を見ていると、そういう実践をしようとしている人は少数で、どっちかというと年齢より趣味のクラスターからアイデンティティを得ようとする志向が強い。でも僕は趣味がない人間だから、そういう場所に行くとどうも萎縮しちゃうんだけど。

で、僕が何を言いたいかというと、このまえNHK-BSで「日めくりタイムトラベル-昭和62年」という番組をやっていたのね。その番組は、昭和62年に起きた出来事を、紹介していく番組なんだけど、そのスタジオに、昭和62年生まれの有名人を集めていたの。

まぁ、よく考えたら昭和62年生まれの人は自分が生まれた年の記憶なんてないんだから、実に的外れな話なんだけど、その中に、時東ぁみというアイドルが出てたのね。で、僕はその番組を見ていて、気づいたことが一つあって、それは

ってこと。

で、僕はそのとき「あーこの人はこういうキャラで今売り出そうとしているんだな」としか思わなかったんだけど、後から気になってネットで調べてみたら、実はそれまで、そしてそれ以降、実はそういうスズミヤ型バンダナを付けていたことってあんまり無いんですね。つまり、時東ぁみがスズミヤ型バンダナを付けていたのは、後にも先にも、その番組だけなんです。それは、本人が希望で付けたのか、スタイリストが付けたのかは知らないけど、とにかく、なぜか「日めくりタイムトラベル-昭和62年」という番組において、時東ぁみは、微妙だけど、スズミヤのコスプレをしていたんです。ここに僕は何らかの「意味」を感じ取るのです。

さて、ここでスズミヤという名前を聞いて、「ゆとり世代研究家」ならピーンと来るものがあったかもしれません。そう、実はスズミヤ役の平野綾は、1987年の10月8日生まれの、まさにゆとり世代に属する人なのです。更に言えば、「涼宮ハルヒの憂鬱」は、近年最もシーンを築いた作品とされているわけ(*8)で……

ここから、僕はこう考えるのです。

と。つまり、時東ぁみが、スズミヤのコスプレをしたのは、実は僕が辻や加護との共通点を見つけ出そうとするのと同じように、「ゆとり世代」という世代を、実践しようとする所作だったのではないかと、そう仮説を立てたのです。

でも

それは無理筋だろうなぁ。

だって、ハルヒ消費を支えているのは、明らかに僕たちより上の世代だし。それだったらまだ「土6」や「土9」をみこしにするほうが、真実味がある。

でも、それにしたって、見ていない人も多いわけでねぇ……

世代論の迷走は続く

追記

id:kanose:20070219:haruhizuki

で、スズミヤについてはこういうネタエントリもなされているわけだけど、でも確かにハルヒを主に消費している僕らより上の世代はそういうハルヒ話で盛り上がれるかもしれないけど、でも僕の少ない大学での同世代経験(*9)から言うと、僕らの世代は、たとえハルヒ好きであっても、そんな風に深くは語れない。

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/Maybe-na/20061228/1167340035

http://d.hatena.ne.jp/Projectitoh/20061029#p1

は、僕らの世代を一番的確に描写しているわけで。世代によるアイデンティティの統合には何らかの共通の神輿が必要なのだけれど、でももはや世代の神輿を担ぐ人はおらず、哀れ世代論祭りは衰退していく。

そこで「まっすぐでゴー!」とか言いながら、アキバでデモして勢いで神輿を担がせるっていうのも、手ではあると思うけど……なんだかなぁ

*1: もちろん、この表記は馬鹿にしています

*2: 彼らのレトリックを敢えて使っています

*3: なんだかんだ言って、彼はマンガ家としてはとても面白いマンガを描くからねぇ。

*4: 皮肉

*5: 覚えた概念をすぐ使いたがるのは悪い癖

*6: その実践について知りたい同世代の人は、http://enfant-terrible.g.hatena.ne.jp/に入って僕の日記を読むと良いんじゃないでしょうか

*7: 僕は「涼宮ハルヒ」のことは、スズミヤと呼んでいます。天皇をヒロヒトと呼ぶのと似たような感覚で

*8: 僕はその見方には大きく反対するが

*9: ゆとり世代グループの人たちは別。ありゃコアな人たちの集まりだから