id:guri_2はまだあの記事がトップなの?へー。世の中って、恥知らずな野郎が多いなぁ。さっさと100kgの重しでも背負って肥溜めにでも身を投げればいいのに。
僕の記事へのはてなブックマークでの反応や、元のid:guri_2の記事へのTrackback・コメントやブクマコメを読んだ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/Rir6/20080316/1205682434
http://d.hatena.ne.jp/guri_2/20080316/1205641886
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/guri_2/20080316/1205641886
そしてそれへの僕の反応
今更ながら、あのid:guri_2の糞記事が書かれる元となった騒動について読んだ
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51010743.html
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51018376.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51018376.html
なんか既視感のある話だなぁと思った。どういうことかというと、このダンコガイとかいう輩は「自分を助けられるのは自分だけだ。だから社会に頼らず自分で自分を助けろ」と言い、それに尻尾振って賛同する輩もいれば、「いや、個人ではどうにもならないから、社会に訴えかけることで問題を社会化し、それによって問題を解決するんだ」というような主張をする人間も居て、それが格差問題における「自己責任派v.s.福祉派」や、ゼロ年代における「決断主義v.s.『社会が悪い!』」という対立軸とよく似てるからです。
さて、ではこの二つの対立、単純に言えば「自己責任による問題解決」と「社会の責任による問題解決」、どちらが正しいのかと言えば……結論から言うならば、両方大間違いであると言える。何故か、だってどんなことをしたって、問題は解決なんかしないもの。
まず「自己責任による問題解決」について、これが一体どういうものかは、問題のダンコガイの、http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50952957.htmlという書評記事に引用されている言葉がもっとも当を得ているだろう。
P. 196
使われるのがイヤなら、使う側に回る。
ダマされるのがイヤなら、ダマす側に回る。
社会のルールに文句をつける前に、ルールをつくる側に回る。
基本的には、それだけの話だ。
だが、18~20世紀ならいざしれず、そもそもこの21世紀の後期近代においては、ルールをつくる側なんてものは存在していない。考えてもみるが良い、1人の国会議員が居るとして、じゃあこいつが何か既存の社会のルールとは違うルールをつくりたいと考えたとき、それが実現できる可能性がどれほどあるか?首相ですら一人の日銀総裁を自分の意のままに決めることが出来ないというのに、一体どこのどいつが自分の自由にルールを決められるというのか?ベンチャー企業の社長?ご冗談を。彼らこそまさに資本主義の奴隷ではないか。社会のルールを決める力、それは一人一人の手の中には全くない。それを持っているのはやはり「社会」だけなのである。
では、やはり「社会の責任による問題解決」が正しいのか?つまり、「俺たちは、社会を変えるために、インターネット上で今の社会の問題点を指摘し、改善するために社会に働きかけるんだ」という意見について。この様な道筋をとる人は、俗流若者論を批判する人や、若い知識人などに多い。
だが、僕はここではっきり言っておこう。「例えどんなに人々が団結したとしても、社会の根本のルールは変わらないし、そうである以上搾取も終わらない」と(ここでいう「搾取」とは、自分の何かが他者に剥奪されることである。)。なんか「社会の責任による問題解決」派の人たちは、「社会」というものを自分たちを守ってくれる存在だと考える節がある。つまり、「社会」というものによって、私たちは福祉を受けたり、公共サービスを受け取られる。だから社会は私たちの味方だと。
だが実際は、人々にサービス残業をさせたり、人を過労死に追い込む、そんな存在こそがまさに「社会」なのである。「社会」はまず第一に私たちから何かを奪う存在である。しかし、奪うだけでは流石にその内私たちが死んでしまうので、奪ったモノを少し施し、生かさず殺さずの状態に私たちをおく、そしてそれにより自分が未来永劫存続できるようにする、それが「社会」の正体である。(*2)そしてそうである以上、社会は決して搾取を止めない。
そして、その事実は更に残酷な真実を私たちに知らしめる。社会が、自己を存続させるために「搾取」を必要不可欠とするならば、そもそもサービス残業などが象徴する搾取問題の「解決」なんてものは、まずありえないということになるのだ。
「ニヒリズム」か「憎悪」か
では、「解決」なるものが存在しない以上、私たちはこの「社会」という地獄をひたすら耐え抜き、人生に終わりが来るのをじっと待つしかないのだろうか?
さんざんここまでの文章でニヒリズムを煽ってきた僕が言うのもなんだが、それは違う!確かに私たちは問題を解決は出来ないかもしれない。だが、そもそも私たちは本当に「解決」なんかを望んできたのだろうか?胸に手を当ててよーく考えて貰いたい。私たちがダンコガイの文章やid:guri_2の文章、金持ちマッチョどもの「自己責任で頑張ればなんとかなるんだ」という発言を見たり聞いたりしたとき、私たちの胸には何が生まれたのか?「ああいう人たちになりたいなぁ」という憧れ?「そういう誤解を解いて、自己責任じゃ何とかならないと分かって貰いたい」という良識?違うでしょう。私たちはまずこう思ったはずです。「こいつらを酷い目に遭わせてやりたい」と!つまり憎しみです。私たちはどうしてもそれをオブラートに包んで、何か「それは自己責任ではなくて社会の責任だ」とか、「そのように言うあなたたちは既得権益によってそんなことが言えているんじゃないですか」という様な社会的に正しい意見に仕立て上げようとしてしまいます。ですが、そうやって社会的に正しい意見にすればするほど、本当に言いたいことは消えていってしまいます。じゃあ、「そうだよね、貧困とか格差は社会の責任だよね」と理解をしめしてくれる金持ちなら良いのか?「しょうがないなぁ、職がないなら僕が雇ってあげるよ」と言う会社社長なら良いのか?違うでしょう。私たちが本当に言いたいこと、それは「てめーらうぜぇ。ぶん殴りたいぐらいむかつく。とっとと消えろ」ということなはずです。言葉で相手を傷つけたいはずなんです。だったら恐れることはない、それをやれば良い。(*3)
もちろん、このようなことを言うと大きな反発を食らうことも知っています。「彼らは別に善意で言っているんだから、それを罵倒するのは酷い」と。だが、そもそも何で善意の発言は罵倒しちゃいけないんですか?というかそもそも人を憎み、罵倒することに「正当な理由」が必要であると、そう考えること自体、「正当な理由なき罵倒の自由」を社会に搾取されていることに他ならないんじゃ、ないんですか?
そもそも彼らマッチョは既にマッチョなんですから、金とか名声とかそんなものは十分あるわけです。だったら何でその上私たちが、インターネット上で彼らが傍若無人に自慢や根性論を書くのを容認しなきゃならないのか?僕にはそんなもの奴隷根性であるとしか思えません。ウインプはマッチョの文章をインターネット上で見つけたらすぐに罵倒し、そのマッチョを追い出す。これぐらいのことをしても十分OKでしょう。というか、何でウインプたちがそういうことをしないのか、僕は不思議で仕方ありません。
最後に演説
諸君 私は炎上が好きだ
諸君 私は炎上が大好きだ
荒らしが好きだ
長文コメが好きだ
ネガティブブックマークが好きだ
スパムTrackbackが好きだ
反論メールが好きだ
嘲り笑いが好きだ
罵倒が好きだ
悪口が好きだ
「死ねばいいのに」が好きだ
はてダで はてブで
増田で gooで
自鯖で エキサイトで
ココログで twitterで
ニコニコ動画で Ustreamで
この地上で行われるありとあらゆる炎上行動が大好きだ
戦列をならべたウインプの一斉Trackbackが轟音と共にマッチョブログを吹き飛ばすのが好きだ
注目エントリ高く放り上げられたマッチョが批判記事でばらばらになった時など心がおどる
ブックマーカーの操る「これはひどい」タグが「これはすごい」タグを撃破するのが好きだ
悲鳴を上げて燃えさかるコメント欄から飛び出してきた管理人をtwitterでなぎ倒した時など胸がすくような気持ちだった
idをそろえたコメンテーターの横隊が敵のコメント欄を蹂躙するのが好きだ
恐慌状態の管理人が既に撤退した荒らしを何度も何度もIPBanしている様など感動すら覚える
敗北主義の閉鎖ブログを人気エントリに吊るし上げていく様などはもうたまらない
許しを請う謝罪エントリが私の振り下ろした手の平とともに金切り声を上げるJ-CASTにばたばたと薙ぎ倒されるのも最高だ
哀れな一般人達が雑多な「感想」で健気にも立ち上がってきたのを学者ブログの「論評」がムラ区画ごと木端微塵に粉砕した時など絶頂すら覚える
アルファブロガーの最新記事に滅茶苦茶にされるのが好きだ
必死に守るはずだったブログが蹂躙され最新記事から順番に論破されていく様はとてもとても悲しいものだ
モヒカン族の物量に押し潰されてプライベートモードにするのが好きだ
モヒカン族のハンドアックスに追いまわされ記憶喪失の様にブログの記事を消すのは屈辱の極みだ
諸君 私は戦争を地獄の様な炎上を望んでいる
諸君 私に付き従うウインプ諸君
君達は一体何を望んでいる?
更なる炎上を望むか?
情け容赦のない糞の様な炎上を望むか?
鉄風雷火の限りを尽くしブログ世界のダンコガイを殺す嵐の様な揉め事を望むか?
『炎上! 炎上! 炎上!』
よろしい ならば炎上だ
我々は渾身の力をこめて今まさに振り降ろさんとする握り拳だ
だがこの暗い闇の底で半世紀もの間堪え続けてきた我々にただの炎上ではもはや足りない!!
大炎上を!!
一心不乱の大炎上を!!
我らはわずかに一注目エントリ 5Usersに満たぬ敗残兵に過ぎない
だが諸君は一騎当千の古強者だと私は信仰している
ならば我らは諸君と私で総力100万と1人のダイアラー集団となる(*4)
我々を忘却の彼方へと追いやり眠りこけている連中を叩き起こそう
髪の毛をつかんで引きずり降ろし眼を開けさせ思い出させよう
連中に恐怖の味を思い出させてやる
連中に我々の罵倒の音を思い出させてやる
天と地のはざまには奴らの哲学では思いもよらない事があることを思い出させてやる
一千人のウインプの戦闘団で
世界を燃やし尽くしてやる
この日へのコメント
やっぱりあのサイトは変ですよね。
自分だけが悪くとらえてるかと思ってました。
あなたを含め、対象となる人達を一室に集めて、対面で対談させたら、
「死ね」「自殺しろ」などと、あなたはやっぱり言うのだろうか。
妙に澄んだ瞳で上記の演説を終え、ガッツポーズを決めるのだろうか。
他人の創作物のパロってのが、矮小だなぁ、と思いました。
(著名なネタを引っ張っての)権威主義的認知要求は読む価値が無い。
ちゃんと自分の言葉を使った方がいい(マッチョ的要求なのかしら?)。
「特に許せない」と言われた上に死ねって言われてたのかw
才能のないやつは大変だな。
あればあったで大変だけど。
結局、1行目のピンクな文字の中にご本人が含まれてるような。
日記だからいいんですけどね。
そう、ブログや日記で自分の考えてることを発信するのはいいのよ。
そこに意見が集まる。そうやって成長していくのよ。
眠たいこというアルファのブログを炎上させてもそれも社会の一部。
男は黙って自爆テロ。
ま、これも直に社会に組み込まれていくでしょう。
宇宙は無限の牢獄です。
この視野狭窄と情動失禁が素だとしたら、今両手に包丁持って近くの通りで絶叫してたとしても驚かんよ