どーも、別に「世界に一つだけの花」自体はどーでもいいけど、この歌を批判して「それでも社会に出たら競争を迫られるんだから、この歌は単なる現実逃避だ。お前らは騙されずきちんとナンバーワンを目指せよ!」とか言う連中(*1)が反吐が出るほど嫌いなので、敢えて「世界に一つだけの花」サイコーと言う、rir6です。
で、そんなわけなので早速「世界に一つだけの花」批判を論破していくよ。
まず↓の記事
id:terracao:20080701:1214872758
まぁ、なんつーか、はてなサヨクの悪い面が凝縮されているような記事だなぁというのを、まず思った。
要するにこの記事は、「花屋」という言葉から、この「世界に一つだけの花」が市場を絶対視し、その中で他人と比べることなく自分が市場に望まれる役割を淡々とこなすと言う、ネオリベ礼賛歌であると、そんな風に批判するわけだ。
はぁ……本当内輪向けの記事だなぁと。だって、そもそも「ネオリベ=絶対悪」なんて前提自体、あんたらの中でしか通用しない文法な訳だから。
なるほど、確かに「花屋」は市場だよ。でもさ、じゃあ逆に聞くけどさ、そもそも今極道な道に入らずにまともに生きている人間で、「市場」で暮らしていない人間って居るのかよ?大体、その記事を書いているあんたはどうなんだ、あんたは「野原」や「道ばた」からそのブログを更新してんのか?
そうじゃないだろう。世の中に生きてる人の殆どは、好む好まざるに関わらず、とりあえずみんな「市場」で暮らしているわけだ。だったら、まずその「市場」から何事も出発しなきゃならないのは当然の原理でしょうが。そりゃあんたらはてなサヨクは、「市場じゃないオルタナティブな協同の可能性」とかなんとかいう訳の分からん言葉を使って、妄想の中で幸せになることは出来るかもしれないよ?でもそんな現実逃避の特殊技能、殆どの人は持ってないし、そもそも僕は、持とうとも思わない。
更に付け加えるならばさ、「野原」「道ばた」のようなそもそも「市場=競争」から降りている花たちが問題とされないこみとをあんたらは問題にする。つまりあんたらが思うには、そういう人たちこそが素晴らしいんだろう。だけどさ、じゃあ実社会に照らし合わせてみたときにさ、「野原」や「道ばた」に居る人って、どんな人だ?……どう考えてもホームレス以外ありえねーじゃねーか。そして、それを踏まえた上で聞こうか。ホームレスは「素晴らしい」のか?なれるんだったら、ホームレスになりたいとか、あんたはそう思うのか?
……こう書くと、「いや、むしろこのような歌でホームレスのような存在が不可視なものとされることによって、ホームレスがきつい状況に追い込まれていくのだ。みんなが『ホームレス、別に良いじゃん』と考えるようになれば、ホームレスは素晴らしくなる」とか反論するかもしれない。でもな、そーいうことじゃねーんだ。だって、「ホームレス」に対する差別は、無くなる可能性はあるかもしれないけど、今は厳然とあるんだから。人は別に全知全能の能力を持っているわけでもなければ、不老不死の生命を持っているわけでもない。「今ここ」で生きなきゃいけないんだよ。だから必要なのは、とにかく「今ここ」においてどう考え、何をするかの知恵であって、未来の可能性なんかどーでも良いんだよ。はい、ここテストに出るから、はてなサヨク共は100回ぐらい読み返せ。
で更に、id:terracaoはこんなことを言う
そして「人それぞれ 好みはある」のである。
顧客や雇用主のニーズの差を敏感に感じ取って、それぞれの「競争」をするべきだという意味である。
間違っても、「君は君自身に価値がある、そのままでいいんだよ」ということではない。
「君自身に価値があるんだよ」と言われて、納得する人間ってどんだけ居るんだろうねぇ?
「君自身」っていうことは、僕の才能でもなければ、容姿・財産・性格・趣味・仕事etc...でもないってことだろう。だって。それらは別に僕は変えることが出来るし、変えてきたものだもの。それこそ、人の好みに応じて。
じゃあ、そうでない「君自身」、あるいは「僕自身」って何だよ?いや、別にそれをあんたが信じていることは否定しないよ。あんたは「自分自身」が存在するって思ってるんだろう。それは別に内心の自由だし。
でも、だからといってそれを人に押し付けるのはおかしいだろう?
僕の考えを言おう。顧客や雇用主のニーズの差を敏感に感じ取って、それぞれの「競争」をするべきということ、これ、「顧客」とか「雇用主」とかいう言葉を使うからおかしくなるんであって、これを「他人」って置き換えるとどうなるか?「他人の望むような人間に、自分をしようとする」、あれ、これ全くおかしなことではないよね?例えば、好きな人の気を惹きたくて、ヘアピンを変えてみるとか、そんなことは普通にあることなわけ。むしろ、そういうものが一切無いって言うのはどういうことかって、それは、「自分が誰からも見られなくなる」ってことでしかない。
何かすごい昔にも話したけれどさ、人は、絶対人を見るときに、その人を"評価"する。その人はどんな人であるかということを、ほかの人との比較によって把握しようとする。好きな人が出来れば嫌いな人も出来る。そしてその評価によって人は傷つく。でも人は人を評価しなければ、その人を「見る」ことすらできない。だとしたら、せめて出来ることは、その評価軸を多元的にすることぐらいなんじゃ、ないのかい?
この中で誰が一番だなんて
争うこともしないで
バケツの中 誇らしげに
しゃんと胸を張っている
なんという上から目線だろう。
この箇所は、この曲がしばしば「競争否定」と誤って解釈されてしまう箇所であるが、この本来の意味は「適材適所(という名の自己責任理論)」である。
ホワイトカラーであればホワイトカラーの、ブルーカラーであればブルーカラーの、そして派遣・フリーターであれば非正規雇用者なりの、「自己努力」「自己変革」をしなさい、という意味である。
「しゃんと胸を張っている」ことが何で「自己努力」に結びつくのか分からん。なるほど、背筋の筋肉がびっくりするほど衰えているなら、しゃんと胸を張ることが努力の賜物なのかもしれん。でも、殆どの人間は、胸を張ろうと思えばいつだって胸を張れるんだよ。なのに「自分はそんな偉くないから」とか言って、多くの人は胸を張らずにせせこましく生きている。それこそまさにこの歌が批判していることなんだよ。
僕ら人間は
どうしてこうも比べたがる?
一人一人違うのに その中で
一番になりたがる?
非正規労働者諸君、君たちの労働環境・雇用条件を正規雇用者と比べるのはよくないぞ!
君たちが今の地位に甘んじているのは、君たちの「自己努力」「自己変革」が足りないためだよ!
上の人間を妬むもんじゃない。
今の自分は、すべて自分のせいだ!
社会のせいにするな!
君たちは、今の自分の身の丈にあった「分相応」の努力をしていればいいのだ!
「非正規労働者諸君、君たちの生を正規雇用者と比べなさい!
君たちは今の地位には満足していない!
上の人間を妬め。
今の自分は、すべて社会のせいだ。社会がお前を駄目な人間にしたんだ!
お前は自分で選んだんで無く、社会によって「駄目人間」にされたんだ!
君たちは、今の自分を否定して、身の丈に合わない成長の為の努力をすべきなんだ!」
はぁ……
結局、正規雇用が君たちの「夢」ですか。朝早くおきてぎゅうぎゅう詰めの電車に乗り、会社で上司にどやされ胃を痛くしながら神経をすり減らし、そして運がよければ終電で帰り運が悪ければ徹夜。休みは月3日あけば良いほう。そんな「生」が、でも「貧困」ではないという意味で、結局はてなサヨクの望みなんですね。
何て狭苦しい評価軸なんだろうなぁ。
そうさ 僕らは 世界に一つだけの花
一人一人違う種を持つ
その花を咲かせることだけに
一生懸命になればいい
...その花を咲かせることだけに 一生懸命になればいい...
最後に三浦朱門の発言を引用する
できん者はできんままで結構。...限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいいんです
斎藤貴男著 『機会不平等』(2004、文芸春秋) 49ページ
この三浦の言葉を引用して、「ゆとり教育」を批判する奴ってほんとはてなサヨクに多いよなぁ。そういう人に聞きたいんだけどさ、じゃあさ、あんたらは「できん者をできるようになるまでシゴく。」ことこそが素晴らしいって思ってんの?だとしたら、あんたらにほんとおあつらえむきの良いところがあるから紹介しておくよ。戸塚ヨットスクールって言ってね……
「実直な精神」っていうけど、学校が教える道徳なんてものはほぼ影響力が無いってことは、それこそ余程の「よい子優等生」じゃなきゃ知っているはずなんだけどなぁ。ああそっか、はてなサヨクってもしかして、その余程の「よい子優等生」だったのかなwww
結局id:terracaoは、ネオリベっていう仮想敵(というか妄想敵?)を叩きたいあまりに、それ以前の日本的シゴき主義が素晴らしい、人はみんな正社員になるべきなんだみたいな、一体どこの田舎自民党員だよと言いたくなるような転向をしちゃったということなんだろう。結局、思想が生活に根付いてないんだろうなぁ。だから、議論の空中戦をしているうちにころっと転向が行われてしまう。やれやれ……
続いて↓
id:ohnosakiko:20080602:1212426010
これの論破はもう単純
この歌を、もし私の行っている芸術大学やデザイン専門学校の生徒が口ずさんでいたら、後ろからケリを入れるかもしれません。今からナンバー1をめざすのを諦めてるんなら、いっそやめちまえ。趣味でやればいい。
オンリー1の感性を大事にしたいだと? わかってないな君たちは。流行歌に安易に自分を乗っけてる時点で感性もクソもないの。頑張った結果どうにもダメだったら、その時私が歌ってあげるから今から自分で歌いなさんな。
感性や個性といったものが重要とされているこの方面の裾野に、「世界にひとつだけの花」教信者は多いです。しかし自分のそれに過大な価値を置いて、しんどい勉強をショートカットしようとする人は、いくらでも無根拠な自信に開き直れてしまうところがあるので厄介です。
無根拠な自信の何がいけないの?はい終了。
一応蛇足を付け加えるならさ、どうせしんどい勉強したって、芸術とかそういう世界で成功するのなんて、ほんとほぼ運でしかないじゃねーか。だった最初からそんなしんどい勉強なんかせずにも、ただ「俺にはすげー才能があるんだぜ!」とか言って、で、その才能が認められる夢を見ながら、勝手に野垂れ死ぬほうが、苦しい勉強やってそれで報われずに野垂れ死ぬよりも全然良いじゃねぇか。ってことだよ。
大体「おっさんはもう衰えていくが、子供・青年ははまだ伸びていく存在なんだ!」って、一体どこの青春ドラマですか。大野氏は得意になって、「世界に一つだけの花」を子供たちに歌わせるセンセーどもを、「自分の権力性を忘れたいための自己欺瞞だ!」と批判する。でも僕から見ればむしろあんたのほうが「ナンバーワンになりたいよぉなりたいよぉ」というしょーもない欲望を、「これは人間にとって当然の欲望なんだ!」と勝手に錯覚して、「だから子供たちだって私と同じ欲望を持っているはず!でもそれを彼らは先生に抑圧されている。助けてあげなきゃ!」とか言って、まるで自分が子供たちの救世主であるかのように振舞う。ぶっちゃけて良いかなぁ?むしろあんたのほうがキモいよ。だってセンセーどものほうは、「個性だから自由にやりなさい」って言って、また放任してくれる。つまり、無益だけど無害なわけだけど、あんたのやっていることっていうのは、子供に「あなたたちはまだ若いんだからもっと勉強して頑張らなきゃ駄目ざますよ!」とか言って尻を叩く、無益でしかも有害なことなんだから。
なんだろうねぇ、まぁ、でも別に僕は、一番最初にも書いたけど、「世界に一つだけの花」ってそんなに好きでもないんだよね。
だって、あの歌は当たり前のことしか言っていないんだもの。俺が世界に一つだけの花だって?当たり前じゃねぇか、俺を誰だと思っていやがる。あのrir6だぞ。こんな花、どうしたって世界に一つだけしかねぇだろう。
だからこそ逆に、こんな当たり前の言葉をみんな何でそんなに忌み嫌うのかが分からない。で、色々読んでみたわけだ。
で、結論。
要するに、みんな根拠無き自信が足りないんだろう。だから、こんな風に根拠なき自信を前提にした歌を歌われると、何で自分にはそんな自信がないのか不安になって、でしょうがないから「歌のほうが間違っているんだ。私に自信がないのはそんな変なことじゃないんだ……」というな言い訳を立てるんだろう。
なんというか……言っちゃ悪いかもしれないけど、哀れな人たちだなぁ。
*1: ex.id:ohnosakiko:20080602:1212426010